晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

ステレオタイプ

YouTubeで、外国の方が日本の音楽について反応するというビデオを見ていた。

彼女も、彼も、やたらと「アニメ」「アニメ」と言う。

きっと、日本語の入った音楽は、アニメの音楽に聴こえるのだろう。

日本の音楽=アニメの音楽なのだ。

それを通してしか、日本を知らないのかもしれない。

でも、立場を置き換えてみると、われわれも外国をそういう目で見てる気がする。

たとえば、イタリアはパスタの国みたいに言う。

パスタは、イタリア南部の食べ物と聞いたことがある気がする。

イタリア北部は、また違うらしい。

たしかに、イタリアを代表する食べ物かもしれないが、イタリア全体を代表してはいない。

日本を考えたったて、一筋縄ではいかない

地域によって、食文化は違うし、人間の気質も違う。一緒くたにしてはいけない。

おんなじ国なのに、こんなに違うんだと思うことはとても多い。

 

ステレオタイプ」ということばを思い出した。

「紋切型」とか「できあい」とかに訳されている。

ここでいう「ステレオ」は、オーディオのステレオではない。印刷用語である。

印刷するための原版のことであり、これの複製を作ることによりいくらでも大量印刷をすることができる。

 

活版、木版、亜鉛凸版などの組版からとった紙型に鉛の合金を流し込んで作る原版を用いた印刷法。あるいはその原版のこと。また、その印刷物。新聞印刷などに用いられる。ステロタイプステレオタイプ。鉛版。(精選版 日本語大辞典)

 

つまり、すでにできている判断基準や、価値基準をあたかも真実であるかのように使うことが、ステレオタイプということなのかな。

日本大百科全書では、次のように解説している。

通例、紋切り型態度と訳される。その特徴として、
(1)過度に単純化されていること、
(2)不確かな情報や客観的根拠の薄弱な知識に基づき誇張され、しばしばゆがめられた粗略な一般化ないしカテゴリー化であること、

 

「過度に単純化」とか「粗略な一般化」というのは、いろいろな場面で感じることがある。

「日本人は、清潔好きである」みたいに言う。

でも、日本人100%が、清潔好きであるはずがない。80%ではあるかもしれない。

それは、平均点の問題であるのに、その他の20%を切り捨ててしまっている。

日本は、武道の国である。

しかし、柔道や空手や剣道などをやる人は数%である。

寿司だって、生ものは食べない人はいる。みんなが、食べるわけではない。

現実には、多様で複雑なものが、単純化されることで多くのものが切り捨てられる。

5択、6択問題が、2択問題にされてしまう。

その方が、楽なのだろう。判断しなくていいから。

 

マスコミの報道とか記事とかを、見たり読んだりしてて、なんか引っかかることが多いのは多分こんなことがあるからだろう。

意識してるか無意識かは別にして、そのような操作をしている。

そのようにして、物事を単純化し、誇張した方が、話を進めやすく、わかりやすくすることができるからだろう。

何国人は、こういう人である。

それが、どんどんひとり歩きして行く。

そんなものに、自分も囲まれてるわけで、よほど自覚して自分で判断しなければ染まってしまってるんだろうな。ほんとかな、というふうに考えるのは大事だな。

ステレオタイプの特徴として、一度できたら、

「新たな証拠や経験に出会っても、容易に変容しにくいこと」

が、挙げられている。

なかなか、手ごわいものなのだ。

 

 

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フリーな生活

60歳で定年のあと、1年間再雇用で勤務して退職した。

長年の念願だったフリーな生活になった。

それから早いもので、6年目である。

 

その間に、いろいろなことがあった。

初めて家族で、海外旅行に行った。

初孫が生まれて、おじいさんになった。

親子4代で、秋田の母の姉さんに会うために旅行に行った。

母が入院して、一年後に亡くなった。

妻の母が入院したが、コロナ禍のため面会できなくなった。

 

妻の母が入院している病院は、自宅から歩いて2、3分のところなので、毎日会いに行っていた。2月から面会謝絶となり、会うことができなくなった。

誕生日なので顔を見たい、とお願いしたが、立ち入りはできないのでと、断られた。

病院の事情はよくわかるので、納得するしかない。

 

私の日々の生活については、このブログでいろいろ書いてきた。

サイクリングやランニングそして散歩。

寺社仏閣、城址城郭、図書館めぐり。

その時の気分と天気で、出かけることが多い。

妻は、週何日かは仕事や友人と出かけることがある。

妻は、私よりも忙しい人である。

私が一人留守番という日が、私の出かける日になる。

 

二人の息子と妻と四人家族なので、食事の献立が私の重要な問題である。

遠い店への買い出しは妻と行くが、日々のコマコマした買い物は私がやる。

料理は好きな方なので、楽しんでやっている。

結婚して、妻が揚げ物は苦手だというので、揚げ物は私が担当してきた。

おかげで、だいぶ上達したと思う。

天ぷらやフライや唐揚げは、中華鍋でやる。

結婚してすぐに買った両手の中華鍋は、30年以上愛用している。

年季が入っていて、一生ものだと思う。

中華鍋は、揚げ物にはとても使いやすい。炒め物にも最適だ。

 

もしかすると、私は調理師になっていたかもしれない。

もしもの話をしても、しょうがないが。

私は、就職が決まって千葉にやってきた。

千葉への採用通知は、卒業式の直前に届いた。卒業式からそのまま卒業証書のコピーを提出に行った記憶がある。

その時期に採用通知ということは、誰かが採用辞退したのだろう。

私は、その時期で就職先が決まっていなかった。

1年間アルバイトをやって、また採用試験を受けるつもりでいた。

そして、何を考えたのか、私は調理師学校へ入学しようとしていた。アルバイトしながら通うつもりでいた。

たしかに、食堂でアルバイトしたことはあった。

でも、今考えると4年間何を勉強してたんだ、ってことである。

自分がやってることは、時々そんなことがある。何を、考えていたのだろう。

 

話は変わるが、私の父は、炭焼きをやっていた時期がある。

姉と二人で、父の炭焼き小屋を訪ねたことがある。

ずいぶんと山道を歩いて、着いた炭焼き小屋で父は寝泊まりして仕事していた。

炭焼きは、木炭を作ることである。

木炭は、樹木を不完全燃焼させることで作ることができる。

炭焼き窯に、樹木を詰めて不完全燃焼させる。煙は出るが、炎が出ないように夜もつきっきりで面倒を見る。燃えてしまったら、灰になってしまう。

父は、そこで何日も、自分で自炊して寝泊まりしていた。

その後、父は何年も出稼ぎ生活をやっていた。やっぱり、自炊をしていた。

だから、父はなんでも自分でやる人だった。

 

世の中には、男子厨房に入らず、みたいな人もいる。

私は、そういうところでは育たなかった、ということだ。

 

 

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ファミリー・ヒストリー

NHKの「ファミリー・ヒストリー」は、とても好きな番組である。

これは、何というジャンルになるのだろうか。

著名人の、たいていは芸能人の、先祖の歴史をたどるという番組なのだが、下手なドラマよりもおもしろい事もある。

事実は小説よりも奇なり、ということである。

何がおもしろいのかというと、登場する人物の面白さだと思う。いろいろな人がいる。

こんな変わった人がいたんだと思わせる人だったり、ドラマのような人生を送ったひとだったり、普通の人が普通に送った人生も、それはそれでおもしろい。

本人の承諾を得て調査するにしても、ある評論家が批判してるように、家系を調査することは

現代社会の個人尊重の精神に反し差別の助長につながるという意見も、確かにそういう恐れがないとは言えない。

先祖は自分が責任を負えない部分である。なんともし難い。

調査していると、いろんな問題に遭遇するだろうということは、想像できる。

その中から、放送に使う素材を選択するのだろう。

 

単純に考えても、父母をたどっていくだけでも、5代遡ると32人、10代遡ると1024人になる。累計すると、その2倍である。その兄弟姉妹を考えると大変なことになる。

子孫は、どこかで絶えるかもしれない。

でも自分という一人の人間が存在するためには、一人もかけてはならない多くの御先祖がいたということである。

まあ、通常は直系をたどるだけだから、そういう問題にはならない。

 

放送で使われた家系図がおかしい、というクレームがついたことがあるそうだ。

家系図について言えば、豊臣秀吉平氏を称したとか、徳川家康が源氏を称したとかもあるし、なんでもあるものだと思う。

家系図というものは、それを作ろうとする者の思惑があるものだし、まして時代を遡れば遡るほど、さだかではなくなる。証明しようがなくなる。

だから、そのようなものとして扱うべきものである。それを考えると、あまり遡るべきではない。

 あくまでも、この番組は娯楽番組であり、ファミリーバラエティなのだから、その範囲内で制作すべきだし、楽しめればいいじゃないかな。

 

人にとって、家族の存在は大きなものだと思う。

父と母がいて、兄弟姉妹がいる。

父と母にとっては親であるおじいちゃんとおばあちゃんがいる。

人によっては、おじいちゃんおばあちゃんは遠くに住んでいてなかなか会えないかもしれない。

もう、亡くなっているかもしれない。

親とは違う目線で、見てくれる。

父や母の兄弟姉妹。おじさん、おばさん。

いちばん可愛がってくれる存在かもしれない。

そして、自分の兄弟姉妹。

ひとりっ子だっている。

両親ともひとりっ子同士だったら、おじさんおばさんはいないことになるのか。

人それぞれ、さまざまな環境の中で育っているってことなんだな。

 

私が子供の頃、おじいちゃんおばあちゃんは四人とも元気だった。

だから、今でも顔を思いだすことができる。

父方のおじいちゃんは、いつも子守をしてくれた。

今は、記憶の中にあるだけである。

その記憶で、自分はできているってことなんだな。

 

私は、村で育ったのだが三十数軒の村だった。

村は、戦国から江戸時代初期に誕生したらしい。

それだけの家族の歴史がかみあって、村の歴史ができている。

村の歴史はもっと大きな社会の歴史に組み込まれている。

考えていると、どんどん広がってしまう。この辺で、やめとこう。 

 

 

 

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ヘヴィーでハードな音楽

ヘヴィーでハードな音楽が、けっこう好きである。

通常は、ロックということになるのだろうが、クラシックも交響曲などを大音量で聴くとかなりヘヴィーでハードである。特に、管楽器がガンガン入るやつだと、ゾクゾクしたりする。

コンサートの生のオーケストラの破壊力はすごい。ロックコンサートに負けない。

ヘヴィーでハードがいいと言いながら、ソフトでメローなものも好きなので、結局のところ音楽全般が好きなのだ。なんだって、いいんだな。

 

ビートルズが、「ロックンロールミュージック」というチャック・ベリーの曲をカバーして日本でもヒットした。

「恋をするならロックンロールミュージック.........」という歌詞を覚えているので、日本人歌手もカバーしていたのだと思う。

ロックンロールというのは、ピアノを使った音楽だと思っていた。

ファッツドミノとかジェリールイスというピアノ弾きの歌手もいたし。

ピアノの鍵盤をバンバンやったりコロコロ弾いたりするやり方だと思っていた。ロックしてロールだし。でも、必ずしもそういうことではないらしい。

 

歌詞をみると、

モダンジャズは、演奏が早すぎてメロディーの美しさが消えてしまう、

だから、僕は古くさいかも知れないけどロックンロールがいい、

という感じらしい。

でも歌詞のなかに、

So keep a rocking that piano  と出てくるので、

私の思い込みも間違いではないかもしれない。

でも、この時点でロックンロールは、古くさいと意識されていたことになる。

 

中学3年の時、教室の隣が音楽室だった。

音楽室は、校舎の端っこだった。どこの学校でも、音楽室はたいてい端っこにある。

ある時、誰かが持ってきたレコードを大音量でステレオにかけた。

モンキーズの「Valleri」という曲だった。

あまりのカッコ良さに、驚いた。

かなり低音の効いたイントロに続いて、高音のコーラスが続く。

その頃、モンキーズを知っていたと思うが、人気のテレビ番組は地元のテレビ局は放送していなかった。

この曲は、ボイス&ハートという優れた作詞作曲のチームの作品であり、多くの曲を提供していたことは、後で知った。

 

音楽室といえば、高校の時に音楽の先生が不在で自習の時があった。

音楽室は、三棟あった校舎の端っこだった。

誰かが持ってきたビートルズのアルバムをクラスのみんなで聴いた。

たぶん、デビューアルバムで、これも大音量でまるごと聴いた。

この頃の曲は、みんなとても短くて2分から2分半くらいのものだったので、全曲でも30分ちょっとだった。

 

こんなことだけは、しっかり覚えている。

時代は、ロックンロールからロックになっていた。

ニュー・ロック、アート・ロック、ヘヴィー・ロック、ハード・ロックサイケデリック・ロック、カントリー・ロック、 他にもあったかな。

ディープ・パープルは、ハード・ロック

ブラック・サバスユーライア・ヒープが、ヘヴィー・ロック。

このへん以降も、パンクやらメタルやらあるようだが、よくわからない。

なにか、私のロックについての知識は断絶してしまっている。

 

人間椅子」というバンドを、最近になって知った。

最近といっても、一年くらいにはなるだろう。

Youtubeを見ていたら、急に登場するようになった。

Youtubeには、reactionというジャンル?がある。

はじめて聴いた音楽に、私はこう反応しました、という自撮りみたいなものである。

それを見ていると、気になる人が何人か見つかる。

 

その人が、人間椅子の「無情のスキャット」というのを見て、反応していた。

人間椅子というバンドの名前は知っていたと思う。でも、人間椅子ということばにおどろおどろしいものを感じて、近づかなかった。私よりも、10歳ちょっと年下で、「イカ天」で認められたらしいが、その番組はまったく見てなかった。

はじめて聴いた人間椅子は、思ったよりもストレートなものだった。ブラックサバスに心酔してバンドをはじめたというのは、わかる気がした。一番驚いたのは、途中のギターソロだった。どこかの大名の家老様のような風体のギターの和嶋さんのギターソロは、王道を行くようなものだが、聴いた人はみんな、おおっと表情が変わる。

欧米の方は、楽器の技巧のすばらしいものに弱いと思う。

それは、和楽器バンドに対する反応でも感じる。

和楽器バンドには、筝、尺八、津軽三味線という楽器の3人のすばらしい演奏者がいる。その演奏に対する反応はおもしろい。演奏の技巧もあるが、楽器自体が見たこともない日本のもので、それをロックバンドの前面立ててる驚きもあるだろう。

 

今のところ、Youtubeが音楽においては、窓口みたいになっている。

新しいものとか、知らなかったものとか、忘れていたものとか、そういうものを見つけるための窓口かな。

 

 

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小金城址  松戸市大谷口

本土寺を後にし、小金城址大谷口歴史公園」に、向かうことにする。

 

小金城は、千葉氏の家老であった原氏の重臣高木氏の居城である。

高木胤吉は、天文6年(1537年)、小金城を築き根木内城から移り、その後、胤辰、胤則と3代53年の居城となった。戦国末期には、この小金城を拠点に、現在の松戸、市川、船橋、沼南、柏、鎌ヶ谷我孫子を支配し下総国有数の領主となったといわれている。

城は、標高20メートルほどの丘陵地帯に、古利根川、中川、荒川流域などの低地帯を一望できる場所にある。城域は、東西800メートル、南北700メートルにおよび、当時下総国北西部最大の平山城だった。平山城は、平野にある山や舌状台地などの丘陵の地形を利用して築城されたものである。

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大谷口歴史公園」に、到着した。

現在、広大な城域のうち保存されているのは、大谷口歴史公園として残っている金杉口の遺構と馬場曲輪の一部、達磨口の虎口の遺構、そして城域の鬼門を守るために根木内城から移されたとされる大勝院である。

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金杉口から、馬場曲輪に登ってみる。

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まわりは、ぐるりと土塁で囲まれている。

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曲輪から降ると、畝堀と障子堀の遺構が残っている。

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次に、虎口の遺構である達磨口に移動する。

車道を歩いていると、大勝院の裏門があった。

かつては、城の鬼門を守っていた大勝院は、幼稚園を経営していた。

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立派な門柱の上に、ミニーさんが立っている。

もう一方は、ドナルドくんだった。
その隣に、達磨口があった。

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駅方面にむかって、坂を登って行くと、この辺りが大手口だったと思われるが、遺構と思われるものはない。

小金城には、大手口、達磨口、金杉口、大谷口の四つの虎口があったといわれている。

大きな通りを歩いて行くと、遠くに寺院の建物が見えたので、その方向に進んでみる。

大勝院の本堂だった。

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大勝院は、教学道場として多くの学僧を輩出してきた。また、地元の師弟教育にも力を注いできており、幼稚園経営もその延長ということらしい。

 

小金城の遺構は、大谷口を入ると「本城」、「中城」、「馬屋敷」、「外馬場」、さらに「馬場山」、「番場」、「中郷」などがあり、1960年代までは、森林の中にほぼ完存していたという。その写真は、「日本城郭大系」(1980年刊行)に残されているらしい。

しかし、その後の住宅開発でほとんどが失われた。

隣の根木内城もその頃に、国道のために分断され、大部分を失っている。

高度経済成長期には、それまで完全な形で残っていたであろう城址の多くが失われてしまったことを考えると、なんとももったいないことである。

 

 

 



 

 

 

 

本土寺  松戸市平賀

我が家から、3番目に近いお城であろうと思われる小金城址を目指して歩き始めた。

小金城址は、 JR北小金駅北口方面に「大谷口歴史公園」として保存されている。そこで、JR北小金駅に向かう。

今日は、小金原団地経由で、国道6号線を越えることにする。

光ヶ丘の台地を降ると、上富士川を越える。上富士川は、北方の根木内城址方向に流れている。小金原の台地を登って進む。登り切ったところで、右手根木内城址方向に曲がる。

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 正面に、根木内城址公園が見える。

水戸街道に合流して、国道6号線を渡り、JR北小金駅に向かう。

八坂神社跡地の石碑で、右に曲がるとJR北小金駅である。

駅を通り抜けると、北口である。ここから、本土寺の参道である。

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小金城址の「大谷口歴史公園」は、左手方向になる。

ここで、目的地を変更することにする。

小金城址の前に、本土寺に寄ることにする。

私は、20代から結婚するまで、この北小金に住んでいた。本土寺まで、歩いて4、5分だった。

参道に向かって歩き出したところで、驚いてしまった。

帰宅途中によく寄っていた居酒屋があったのだ。しばらく通っていたのだが、線路の向こうにお店が移り、私もその後転居した。いつのまにかその店は、なくなっていた。

その居酒屋が、戻っていた。場所は、以前の斜め向かいである。

焼き鳥が、うまかった。カレイの唐揚げが、私のお気に入りだった。

まだ、暖簾は出ていなかった。よし、近いうちに来よう。

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いつ、ここに戻ってきたのかな。

駅と参道入り口の間は、最近ほとんど歩いてなかったので、気がつかなかった。

 

その頃の、本土寺は一応、「北のあじさい寺」とは言われていたが、知る人ぞ知るという程度で、観光客なんかは見なかった。駅付近は賑やかだったが、参道にはお店といえる店もほとんどなかった。

今は、少し門前といえる感じにお店が増えていた。

ちょっと気になる蕎麦屋さんもあった。おじさんが、店先でそばを打っていた。

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参道は、けっこう長い。300メートルくらいかな。

本土寺は、あじさいの頃はとても賑わう。でも、紅葉も綺麗だし、桜も見事である。

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山門に近づくと、紅葉が目に入ってきた。

紅葉のことはまったく考えてなかったので、予想外だった。

久しぶりなので、ご挨拶ということで参拝しようと思って来たのだ。

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予定変更してよかった。

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紅葉が、青空に映えてすばらしい。

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五重塔は、昔はなかった。

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いつもは、花を楽しむだけで、参拝は省略することがあるが、今日はお参りしました。

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境内を、ぐるっとまわってみました。

平日にもかかわらず、参拝者がちらほらと歩いています。

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本土寺は、小金城とも関係の深い寺である。
また、「本土寺過去帳」は、歴史研究における重要な研究史料となっている。

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本土寺の紅葉をじゅうぶんに楽しんだところで、次に、小金城址に向かう。

小金城については、次の記事に載せようと思う。



 

長距離移動と自転車

子どもたちが小さい頃に、秋田で嫁いでいた姉のところに、何回か家族みんなで自動車で遊びに行った。

常磐自動車道磐越自動車道東北自動車道を乗り継いで、700km弱だった。朝早く出発して、途中休憩しながら夕方到着する、と言う感じだった。

新幹線利用だと、東北新幹線で盛岡か、秋田新幹線で秋田になるが、どちらも、その先が乗り換えて2時間以上かかるのであまり実用的じゃない。家族で行くなら、やっぱり車だった。

平成10年に、秋田県北部の中央の鷹巣盆地に大館能代空港(愛称は秋田北空港)ができた。秋田県中央部の秋田空港に次ぐ第二空港であるが、やはりこれも到着したら、レンタカーで1時間ほどかかるので面倒である。まだ、利用したことがない。

高速道路も今は、常磐自動車道がずっと延長して仙台の先で東北自動車道に接続するようになったので、磐越自動車道を使わなくてよくなり、かつてより距離的にも時間的にも楽になっている

3年ほど前に、このコースを利用したのだか、東日本大震災放射線汚染された地域を通過する際に、放射線量の表示板のあるあたりを通る時は緊張した。

 

今は、秋田ー東京も自動車なら半日、飛行機なら1時間10分だそうである。

江戸時代には、参勤交代のための大名行列というものがあった。

秋田藩は20万石だったので、1000人を超える行列だったらしい。それで、秋田ー江戸600kmを14、15日で移動したということだ。普通の旅人よりも少し早いスピードだったというからすごい。

毎日10時間歩行の計算である。

そのうえ、1000人で宿泊するとなると、想像を超える。

20万石でなくて、もっと大きな藩はどんなものだったのだろう。

100万石を超える加賀藩は、多いときで4000人近かったらしいし、薩摩藩は、40日から60日かかったということだ。

この時代、将軍様でも、お殿様でもこの移動には確実にこの日数が必要だった。いかに、お金持ちでも、せいぜい自分の脚で歩かなくても、駕籠に乗れるくらいで、日数はどうしようもない。

 

若い頃に、ユースホステルを使って旅行してた。

北海道や九州も、行ったことがあるが、ユースホステルで必ず、自転車で北海道をまわってます、とか九州をまわってます、という若者が何人かはいた。

すごいなあ、と思うだけであまり詳しい話はしなかった。

今思うと、1日何キロくらい走っていたのだろう。

自転車は普通に走ると、時速20kmくらいになるらしい。ということは、歩くのが、時速4kmで、10時間歩いて1日40kmである。

自転車は、その計算で行くと、1日200kmである。

秋田ー江戸は、3日で行けることになる。よっぽど、鍛えた人でないととても計算通りにいくとは思えない。1日100kmくらいは、なんとかなるのかな。

 

でも、私の場合だと、自転車は長い時間乗ってると、お尻が痛くなってしまう。

たぶん、乗り方に問題があるのだと思う。

私が、今まで自転車で最も遠出したのは次のとおりだ。

江戸川上流 関宿城博物館(野田市)     約40km    往復80km

江戸川下流 江戸川放水路(江戸川区) 約26km    往復52km

利根川下流 長豊橋(印旛郡栄町)         約35km    往復70km

やっぱり、関宿城が一番遠かったんだ。往復で、5時間くらいかかったと思う。

日帰りだとこれくらいが限界かな。

自転車でよく行く所を、車で行くことがあるが結構走りでがあったりする。よくこんなところまで、自転車できたなあ、と我ながら感心したりすることがある。

 

自転車の競技とか見てると、サドルに腰は降ろさず、腰を浮かせている。競馬の騎手も腰を浮かせている。短い時間はそれができたとして、長時間だとどうしたらいいのだろう。

長距離を移動して、かつその過程を楽しもうとすると、手段としてもっとも適しているのは自転車になりそうだな。

まあ、歩きも、自転車も、自動車も、飛行機も、それぞれ距離に応じて手段として楽しめばいいだけのことだとは、思う。

 

 

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サスペンスと捕物帳

妻は、テレビのサスペンスものが好きである。

ビデオデッキを駆使して、まめに録画している。これといったものは、見逃さない。

「サスペンスの女王 」ということばがあって、片平なぎさ名取裕子沢口靖子あたりが、その候補者だろうが、このへんは、欠かさない。

もちろん、男性主演の刑事ものもみる。

日本のものだけではない。

欧米の映画やテレビドラマも網羅している。

コロンボポアロ、マープル、なんでもありである。

そういえば、シャーロック・ホームズは、最近放送がない気がする。

私も、隣でお付き合いしてるので、かなり詳しくなった。

番組表を調べて、よく録画している。

コロンボポアロは、最近もよく見てる。

 

ところで、よく言われることかもしれないが、コロンボは画期的な作品だと思う。

なにしろ、冒頭に必ず犯行シーンが流れる。

あとは、コロンボが犯人をどのように追い詰めていくかが見どころになる。 

古畑任三郎は、このパターンを踏襲してた気がする。

妻は、シリアスなドラマは見ない。それは、私と同じだ。

サスペンスものの魅力はなんだろうと考えると、やはりわかりやすいことだろう。ものごとを、理詰めに解決しようとする。ワンパターンではあるが、自分も参加している気にさせる。

 

かつては、私がテレビで見るのは音楽番組とスポーツ番組だった。

今は、どちらも見たい番組がない。

タブレットスマホをいじっていることが多い。

WEBや動画は、タブレットを使っている。

スマホでは、「読書尚友Free」というアプリを使って、テキストを読んでいる。

このアプリを使うと、文庫本を読む感覚で読むことができる。

フォントも綺麗である。むかしPDAのクリエを使っていた頃は、もう少しフォントが綺麗だったらいいな、と思っていた。

自分が入力した菅江真澄のテキストやお気に入りの「捕物帳」も気持ちよく読める。

青空文庫と連動しているので、前もってテキストを用意しなくてもいい。

私は、「捕物帳」ものが好きで、クリエの頃から読んでいた。

その頃は、「半七捕物帳」や「銭形平次捕物控」や「右門捕物帳」あたりだった。

捕物帳は、短編か中編読み切りで、時代も江戸時代なので落語でも聞くように楽しめる。

そして、青空文庫に多くの作品が収録されている。

青空文庫を調べてみた。まだまだ読んでないのがいっぱいある。

岡本綺堂                『半七捕物帳』     69作品

佐々木味津三        『右門捕物帳』     38作品

野村胡堂                『銭形平次捕物控』   70作品

久生十蘭    『顎十郎捕物帳』    24作品  

城昌幸                   『若さま侍捕物手帖』  著作権保護期間延長

横溝正史               『人形佐七捕物帳』   著作権保護期間延長

 

同心は、江戸幕府の下級役人で、諸奉行、火付盗賊改方の配下で、与力の下にあって庶務見回りなどの警備についた。同心は、私的に岡っ引きと呼ばれる手先を雇っていた。岡っ引きは、下っぴきという手下を持つことが多かった。

右門は、同心であり、顎十郎は、元同心のちに駕籠屋である。

半七、銭形平次、人形佐七は、岡っ引きである 

若さま侍は、身分不詳だそうである。

捕物帳ものは、事件解決の過程も楽しめるし、その背景にある江戸時代の社会や風俗、いろんな職業や人間関係などが描かれてるのも、おもしろい。ただ、単に現代のものを江戸に置き換えたのではない。そういう意味で、作者の資質能力が問われるものである。

 

さらに、シャーロックホームズも、翻訳されたものが登録されている。

アーサー・コナン・ドイル  シャーロック・ホームズ 34作品

シャーロックホームズの作品は、19世紀後半のロンドンを舞台にした物語である。私が言うまでもなく、いろんな楽しみのある作品だと思う。当時のイギリスやロンドンの社会、そして国際社会との関係、さまざまな登場人物など。相棒のワトソンとの関係もおもしろい。

しかも、それが挿絵入りで楽しめる。

青空文庫に、ほんとに感謝です。

プロジェクト・グーテンベルグという、お手本があったにしても素晴らしいことだと思います。 

 

しかし、著作権法が改正されたことにより、著作権保護期間が50年から70年に延長された。1968年以降死去の著作権者が該当することになった。20年間は、新規の著作権保護期間終了者がいないことになる。青空文庫の活動も困難な時代を迎えることになっている。

この苦境を、むしろチャンスに変える発想も必要だと思う。 

現在の青空文庫は、収録されている作品は、明治から昭和初期が大半を占めており、江戸時代以前の作品は少なくなっている。

この時代の作品を計画的に入力していくことが必要かも知れない。青空文庫はあくまでもボランティアの活動で成り立っているので、入力しようという意欲が必要である。その意味で、むずかしい問題である。

この期間を、収録作品のバランスを良くしていくために使っていくことが必要になると思う。

 

 

 

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迷惑メール

この数週間、いや1ヶ月以上になるかな。迷惑メールが再開した。

数えたことはないが、1日に10通以上届く。もっと、多いかも知れない。

その都度、迷惑メール登録するが減る気配がない。

私の使っているメールシステムは、メールアドレス、ユーザー名、ドメイン、件名の四つの中からいずれかを登録する様になっている。

ドメインが、有効かなと思い、それで登録してみる。それでも、メールは、減らない。他の三つはその都度違っているような気がするするので、そうなると、全部その都度違っている事になる。

でもこれだと、該当してたら迷惑メールフォルダに振り分けられるだけのことらしい。

フィルター設定というのもあるが、これも同じようなものなのかな。

完全に、受信拒否とか送り返すとかできないのかな。

メールアドレスのドメインって、そんなに勝手に作れるものなの?

お手上げである。

 

迷惑メール対策について、調べてみた。

本文をクリックしない、返信しないなどとなっている。

私に届く迷惑メールは、内容的には、親しい友人へのメールを装った短いものであり、

かなり、気持ち悪い内容である。

一、二行の本文だけで、リンクもない。

何が、狙いなのか。返信かな。

対策はありそうだけど、素人には見当がつかない。

 

どんなタイミングで、迷惑メールがはじまたかを考えてみると、思い当たることはある。

2ヶ月ほど前に、〇〇payという、大手の支払いシステムに加入している。それぐらいしか思いあたらない。

最近その○○ペイで、情報流出が発覚した。やっぱりね。

2年ほど前にも、同じような迷惑メールが続いて届いていたことがあった。その時は、大手家電販売店のポイントサービスをカードからスマホアプリに変えたタイミングだった。変えた途端に始まった。しばらく続いて、いつのまにか届かなくなっていた。

大手の支払いシステムの会社や大手家電店には、それに関わるいろいろな会社があるだろうし、それらが顧客データをどのように扱っているのかという問題である。

前回と同様に、何ヶ月か経てば、送られてくることも無くなるのだろうが、面倒なことだ。

 

メールアドレス単独では、情報としては大したことが無いらしい。

ほんとに、そのメールアドレスが存在するかどうかも、わからない。

クリックしたり、返信することで、他の情報と繋がっていく。

電話番号、名前、そして住所。

さらに、性別、生年月日。

最終的には、クレジットカード情報だろう。

カード会社、カード番号、暗証番号など。

情報がつながっていくほどに、情報の重みが増していく。

そういえば意味では、ネットショッピングなんて、こわいなあ。

支払いの方法は、考えないといけないな。

カード支払いは楽で簡単だけど、リスクが大きい。

他にも、方法はあるよね。プリペイドカードとか。

ひとつだけ、ネットショッピングに登録してるのある。

支払い方法考えてみる必要がありそうだな。

 

迷惑メールの問題に、戻ってみる。

もっと、根本的に解決できないいのかな、と思う。

WEBサイトのドメインは、たしか国際的な組織が管理していたような気がする。

メールアドレスのドメインは、どこかで管理してないのかな。

ちゃんと登録されてないドメインからはメールを送信できないようにすればいいんじゃないかな。

そんなに、難しいことなんだろうか。

1日に何十という迷惑メールが何ヶ月もということは、全体では、とんでもない量の無駄なメールが、存在してるのだろう。そのために、このシステムが無駄なコストを費やしていることにもなるのだから、なんか手を打った方がいいだろうな。

問題を整理すると、次の二点になると思う。

①  情報を管理すべき会社や組織が 、完璧に情報を管理すること。事務の委託先や関連する業者を、責任を持って管理する。

②  発信元が不明確なメールは、送信できないようなメールシステムにする。

これができないようじゃ、その業務はやめた方がいい。

 

 

 

 

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天の川は見えるか

外出して帰りに暗くなっていて、夜空を見ることがある。星が見えにくいとは言ってもそれなりには見える。

月の満ち欠けを見て、もうすぐ満月だ、とかだいぶ欠けてきて下弦の月だな、と思うこともある。

天の川の話を、妻と話してたら、「天の川を見たことがない。」というので驚いたことがある。

そうか、明るいところでは星は見えにくいし、天の川は見えないのだ。

まったく見えないわけではないが、この辺で見える星は、子供の頃に見ていた星の何十分の一、いや何百分の一かな?
何たって、天の川は無数の星の集団だから、あれだけでものすごい数の星である。

天の川って、たしか銀河系の一部である地球から、銀河系を横から見てる感じだったな。

銀河とかMilky Way とか、ほんとにぴったりの名前だなあ。

でも、現在でも私の田舎で天の川がみえるのかなあ?

ちょっと、心配だな。
日本全国、明るくなってるらしいから。

 

私が、最後に天の川を見たのはいつだろう。

18歳まで秋田にいたのだから、その頃見ているとは思うのだが、はっきりと見ていたことを覚えているのは、小学生の時である。

小学生の時、村の子ども会の活動で「火の用心」の夜回りをやっていた。ずっと伝統的にやってたみたいで、いつからやってたのかわからない。

5、6人のグループで、夕方暗くなってから、夜警団みたいなことをやっていた。

鐘を鳴らして、「火の用心願います。」と、大きな声で叫ぶ。

もう暗くなっている時間だった。何時くらいだったのだろう。

夜空には、天の川があった。

村をひとまわりするのに、1時間はかからないにしても、子供の足なので結構かかったと思う。

その間じゅう、夜空を見ながら歩いていた。

夜空には、太い白い帯が横断、縦断していた。

天の川、銀河、Milky Way とはよくいったものである。

それが一つ一つの星の集まりとは思えない、白いもやっとしたものである。

 

五年生くらいの時に、星座観察?のために、学校の宿直室に男子児童が泊まったことがある。

10人くらいいたような気がする。その時、夜空を見てると思うがはっきりとは覚えていない。

担任の先生が理科専攻の先生だったので、青空教室とか言って校外で授業したりしてた。

たしか、新潟地震は、外へ出てた時に起こった。

今なら、ひんしゅくものかも知れない。

 

20代の頃、冬山登山で八ヶ岳に登り、夜に友人たちと山小屋から、凍りそうに寒い外に出て夜空を見た記憶もある。

でも、天の川を意識しては見てなかった。

 

今は、どの辺まで行ったら綺麗な天の川が見れるのだろうか。

いくら、山へ登っても日本全体が明るくなってしまっているので、見え方が違ってしまってるんだろうな。

関東近辺でも、場所によっては星空がよく見える所はありそうだから、それを旅行の目的にできるかも知れない。

旅行の宿泊先の条件に、これを加えるのは充分に意味があると思う。

そこは、綺麗な天の川が見えるか。

 

 

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