(序文) 天明四とせ(二七八四)の甲辰の夏、六月三十日旧洗馬村をたちて、越のうしろ洲に行とて、清水の里、桐原のまき、つかまのみゆ、などを見めぐりて、水内の郡に到りて曲橋(この橋を久米路の橋といへり伊那の郡にも同名聞こえたり)を渡りて、この冊…
天明4年6月末、真澄はみちのくをめざして信濃国東筑摩郡洗馬村を出発し、長野を経て上水内郡を通過し、7月末に北国街道から越後に入る。 「くめじのはし」(久米路の橋)は、このあいだの日記である。 日記の序文にあるように、「くめじのはし」という題名は、…
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