晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

光ヶ丘団地と光ヶ丘マーケット

1987年(昭和62年)、私は今も居住する光ヶ丘に転居してきた。 3階建ての分譲型の集合住宅だったが、隣接してもっと広大な賃貸型の集合住宅があった。 それが、日本住宅公団が郊外に大規模な住宅を建設するという方針に基づいて、最初に造成された団地、光ヶ丘…

手賀沼を自転車でひとまわり

天気もいいし、久しぶりに手賀沼に行くことにした。 手賀沼まで自転車で行って、沼のまわりを走るのもいいなと考えたが、自転車のチェーンロックのキーが見つからない。 そういえば、前回も見つけられなかった。 どこかで、無くしたのかもしれない。 今回は…

「あおり」運転に遭遇した

普通に車を運転していたら、後ろから「ピー」という大きな音が聞こえた。 警笛らしかったので、何があったのだろうと、思った。 主要道路で交通量が多いのに、路肩がほとんどない。 車線自体もかなり狭い上に、対向車線の車も切れない。 それなのに、自転車…

大館 秋田犬 曲げわっぱ きりたんぽ

テレビをつけて、夕食を作っていた。 テレビから「大館」ということばが聞こえたので、急いでテレビの前に行った。 フィギュアスケートのザギトワさんが、秋田犬とたわむれていた。 彼女の愛犬「マサル」の故郷を、訪ねたというニュースだった。 そして、「…

5歳の誕生日

私と妻にとっては、初孫でもある孫娘が5歳になった。 この5年間は、長かったようでもあり、短かったようにも思える。 まあるい顔をして、ころころした赤ちゃんだった。 今は、ほっそりしてすっかり女の子らしい。 私は、姉2人の末っ子だった。 妻は、弟2人の…

映画のカチンコの存在理由がわかった

車を運転して、ラジオをぼーっと聞いていた。 音楽を聴いてることが多く、ラジオはあまりかけない。 そしたら、「アレサ・フランクリン」という名前が聴こえた。 アレサ・フランクリンを知った高校生の頃、彼女はリズム・アンド・ブルースの女王と言われてい…

すわのうみ③ 菅江真澄テキスト

廿八日 直堅がやに、洞月上人はなの歌よませ給ふけるを見て、 世中はまだき盛にいとはやも人のことばのはなににほへる としごとの春鶯きたれば、まづ人とりてこにいれなどすれど、此春はおのがまゝにきなくなど、あるじのかたりければ、 雲をこふうらみもあ…

ロックの時代⑥ いとしのマックス

私が、中学生、高校生だった頃に日本にロックがやってきた。 そして、グループサウンズの時代になった みんなが、ヴェンチャーズやビートルズやローリングストーンズのように、エレキギターを弾きたかったのだ。 でも、考えてみたら、フォークの時代でもあっ…

思えば遠くへ来たもんだ

C.W.ニコルさんが、昨年亡くなって1年になるそうだ。 ニコルさんのことは、テレビで見かけるだけだったのであまり知らない。 自然保護の活動をしていて、黒姫山のふもとに住んでいる。 あとは、やさしそうな笑顔と、おだやかな語り口である。 生まれ育った…

国名について調べてみた⑤ 統合編

これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしている。 律令制による令制国が成立する前は、国造(くにのみやつこ)が治める国と、県主(あがたぬし)が治め…

近くて遠い

入院中の妻の母に、1年ぶりに面会した。 1年以上面会できていない場合ということで、面会できますとの連絡が病院からあったのだ。 コロナウィルスのために、昨年2月から入院患者への面会ができなくなっていた。 その1ヶ月後くらいに、お願いしてちょっとだけ…

郷里の秋田とお酒のこと

最近買った日本酒が、郷里秋田の大館市の酒だった。 「北鹿」という酒造会社の、特別純米「北秋田」である。 もちろん、秋田県産米100%使用となっていた。 大館といったら「北鹿」くらいしか、酒造会社が思い浮かばない。 大館は、一応城下町である。 江戸時…

北柏ふるさと公園を散策する

月に2回ほど、北柏駅近くに出かける。 近くに、柏ふるさと公園と北柏ふるさと公園という名前の似た公園が二つある。 柏市の中央部から流れてくる大堀川が、北柏のあたりで手賀沼に流れ込んでいる。 手賀沼には、大堀川の他に鎌ヶ谷市くぬぎ山を水源とする大…

ウォークマン、iPod、そしてiPhone

長時間の歩きや、ランニングの時は、スマホで音楽を聴いている。 スマホのsdカードに、お気に入りのmp3のファイルを転送して、ランダムで再生している。 音楽専用のメディアプレーヤーを使っている人も多いだろうが、私などはほとんどスマホに電話がかかって…

インフレからデフレの時代になったのだろうか

高校生くらいまでは、「インフレ」も「デフレ」も、別世界のことばだった。 教科書に、「インフレ」という言葉とともに、お札をリュックサックに詰めて出かける写真があったり、年何百%というインフレとあっても、日本には縁がないことばに思えた。 「インフ…

白山神社 柏市豊住

自宅から近い神社のうちのひとつである豊住の白山神社に、行ってみることにする。 白山神社は、私の住む東中新宿より北方に、1km弱のところにある。 農業環境技術研究所のサイトにある「歴史的農業環境閲覧システム」の地図を見てみる。 この地図は、日本陸…

私の日本酒コレクション①

日本酒を買うときには、紙パックをやめて4合瓶に変えてからしばらくになる。 日本では、日本酒を製造しているメーカーが、1300を越えるということである。 私は、純米酒を買うことにしているのだが、純米酒、純米吟醸、純米大吟醸のいずれかということになる…

「ほめる文化」と「けなす文化」

先日、サンドイッチマンについての文章を書いたときに、「東北には、けなす文化はない」と書いた。 あとになって、ほんとにそれでよかったのか、とちょっと心配になった。 私が、秋田で暮らしていたのは18才までである。 思い込みとか、勘違いがあるんじゃな…

ロックの時代 ⑤ ツイスト・アンド・シャウト

私が、いつロックに出会ったかを考えていた。 ビートルズが来日して武道館で公演したのは、テレビで見ていた。 そのころには、ビートルズを知っていた。 調べてみたら、ビートルズ来日は、1966年6月29日から7月3日となってる。 その頃、私は中学1年であり、…

メーデーの記憶

メーデーは、だいぶ前に過ぎてしまった。 テレビのニュースでも、ほとんど取り上げられなかった。 メーデーって、5月1日のことだよ、と言わなければわからない人も多いかもしれない。 かつては、中央集会とか言って、代々木公園や日比谷公園での様子が、必ず…

人間ドックを受診すること

私が、人間ドックを受診するようになったのは、父が病気で亡くなったことがきっかけだった。 父は、いくつか成人病があって、64才で亡くなった。 若い頃に長い間、出稼ぎをしていたので、その際の食生活などが病気につながったのだと思う。 亡くなる前の数年…

すわのうみ ② 菅江真澄テキスト

甘二日 今井のむらにまかりて、権正兼遠住給ひし昔の跡とて、馬場から堀筑山のかた斗のこれり。 今井四郎兼平も此あたりにて生れ給ひしとなん。 いまは、かねひら明神とあがめ奉る。 それより宝輪寺にまかりて、尊応法印にまみへ奉りぬ。 通夜、うたよみ物語…

ルールと危機管理のこと

日本人は、交通ルールをよく守るとかいうけど、日々生活していると、そうでもないんじゃないか、と思うことが多い。 ルールをよく守るって言ったって、100%というわけじゃない、比較的ということである。 全てにおいてそうだと思うが、物事の実態を考えたら…

山歩き こわかった話

山歩きをしていると、山小屋に泊まることになる。 山小屋といっても、ピンからキリまでいろいろである。 私の経験は、東日本の山に限られる。 北アルプスの山小屋は、場所によっては、個室もあるし、生ビールも飲める。 すばらしい風景を前にして、生ビール…

おはよう!こどもショー

いつの時代も、日本の家庭ではテレビは時計がわりになってるのでは、ないだろうか。 我が家でも、一番早起きの私が起きると、まずテレビの電源を入れる。 それから、洗濯機を回し、コーヒーメーカーをセットする。 あとは、テレビに表示されている時刻に従っ…

きれいな野菜の皮をむく

何年か前のことだが、テレビの料理番組を見ていた。 ヨーロッパの、たぶんドイツの方が料理していた。 玉ねぎを使った料理だったが、その人は玉ねぎの皮を剥かずに、使っていた。 茶色の皮、そのままで料理していた。 玉ねぎの皮は剥いて料理するもの、と思…

サンドイッチマンのおもしろさ

私は、サンドイッチマンが好きである。 ときどき、YouTubeで見たりして、妻にそのことを話したりしていた。 妻は、サンドイッチマンが主演で、バスを乗り継いで食べ歩く番組が見ているので、私も見ていた。 似たような番組は他にもあるけれど、サンドイッチ…

金になるスポーツ

ある女子ゴルファーの名前を聞くたびに、思い出すことがある。 先日も、その名前を見た。 彼女が、大会で初優勝した頃の発言が、話題になったのだ。 発言の内容について、正確には覚えていないが、次のようなものだったと思う。 プロがないようなスポーツを…

「銀座ナウ」という番組があった

学生時代の夕方、「銀座ナウ」という若者向けのテレビ番組があった。 今になって思えば、「銀座ナウ」というタイトルは、なんとも言いようがない。 私の学生時代は、1972年から1976年である。 午後5時から40分くらいだったので、夕方の講義がない時は欠かさ…

道はどうしてできるのだろう

北海道へ行った時に、驚いたことがある。 北海道では、小さな町でも、町並みが碁盤の目になってるのだ。 私は、学生時代に初めて北海道に行っていて、そのときは、倶知安でユースホステルに泊まって、町が碁盤の目になってるのに気がついた、と思う。 私は、…