晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

自分のこと

スモーキン・ブギ  葉たばこ栽培農家の話

「スモーキン・ブギ」を、ダウンタウン・ブギウギ・バンドがやっていたのは、私が学生の頃だ。 キャロルは、黒の革ジャンだったが、ダウンタウンは、修理工場のお兄ちゃんみたいな、白のツナギだった。 その頃、俺も、白のツナギを着てた。 トヨタ自動車の完…

成人式に思ったこと

テレビで、成人式のニュースをやっていた。 今年は、自治体によって成人式を開催したところと、中止したところがあったようだ。 本人にとっては、人生一回の成人式だけど、世の中は何があるかわからない。忘れられない成人式になるだろう。 今回のコロナは、…

冷や飯と冷酒

「ひや飯食い」ということばがある。 辞書によると、他人の家に寄食する人又は冷遇されている人、となっている。 冷や飯を食わされている、というニュアンスで使われている。 私は、たぶんことば本来の意味で「ひや飯食い」である。 自分の意思で、冷や飯を…

運転免許証にまつわること

4年後の2024年が、運転免許証の次回の更新時期になる。 もう、免許証は返納だなあ、と思っていたのだが、よく考えてみると返納してほんとに大丈夫か心配になってくる。 定期的に、病院に行かなければならない家族がいる。その、通院が問題なのだ。バス電車乗…

少年ジェットがヒーローだった

「少年ジェット」が、私のヒーローだった。 今でも、なんかのおりに、その名前が出てきてしまう。パスワードを考える時とか。 これを見ていたのは、小学校低学年から中学年のあたりだ。 ヒーローものの時代だった。考えていたら、いっぱい出てきた。 少年ジ…

棟方志功の板画

棟方志功という名前を知ったのは、いつだろうか。 長部日出雄さんが、棟方志功さんを描いた「鬼がきたー棟方志功伝」で、文部大臣賞をもらったのが1979年である。 でも、長部さんが津軽三味線の世界に生きる若者たちを描いた「津軽三味線じょんがら節」「津…

ふるさとは遠きにありて

私は、10棟の集合住宅からなる150戸ほどのこじんまりした団地に住んでいる。 入居した当時は、30代だった。まわりは、同世代かもっと上の世代だった。 私の知ってる限りでは、ほとんどが日本各地出身の方である。 職場は、半分か3分の1が地元か県内で、その…

1月1日

私は、秋田で育ったので正月は雪の中だった。 雪が多いので、1月20日くらいまで冬休みだった。そのかわり、夏休みは短かかった。 子どもの頃のことを考えていたら、1月1日は登校日だったことを思い出した。 でも、小学校低学年くらいまでだったような気が…

綱島温泉は東京の奥座敷

学生時代、東急東横線の沿線に住んでいた。 東急東横線は、東急電鉄が運行する渋谷駅から横浜駅までの路線である。私が、利用していた当時は、横浜からさらに路線は延びていて桜木町駅が終点だった。 日吉駅付近に1年、隣の綱島駅付近に3年住んでいた。 綱島…

ナマハゲと獅子踊り

毎年暮れの頃になると、ナマハゲがテレビで取り上げられる。 年末の風物詩になっている。 ナマハゲは、秋田県の男鹿半島周辺の年中行事に登場する仮面をつけ藁の衣装をまとった神の使い(来訪神)である。 角はあるが、鬼ではない。 家々を訪れ「泣ぐ子(ゴ)…

プラモデルを作っていた頃

孫娘が、プレゼントでもらったラジコンカーで遊んでいた。 車体は、チョロQを何倍かにしたような感じなのだが、機能は今どきのものなのでなかなかすごい。 まず、スピードが速い、その場で回転できる。 バッテリーは、USB充電で、25分間動く。 障害物回避モ…

フリーな生活

60歳で定年のあと、1年間再雇用で勤務して退職した。 長年の念願だったフリーな生活になった。 それから早いもので、6年目である。 その間に、いろいろなことがあった。 初めて家族で、海外旅行に行った。 初孫が生まれて、おじいさんになった。 親子4代で、…

天の川は見えるか

外出して帰りに暗くなっていて、夜空を見ることがある。星が見えにくいとは言ってもそれなりには見える。 月の満ち欠けを見て、もうすぐ満月だ、とかだいぶ欠けてきて下弦の月だな、と思うこともある。 天の川の話を、妻と話してたら、「天の川を見たことが…

ランプと振り子時計

先日、薪ストーブと囲炉裏のことを書いた。 あとになって、思い出したのが、「ランプと振り子時計」である。 ランプから、電灯に変わったのは物心がついてからである。それまでは、灯油を使ったランプが照明器具だった。 今では、ランプといえば使ってるのは…

柏という街

私は、千葉県北西部柏市に住んでいる。 柏市は、今は、国道6号と国道16号が交差し、JR常磐線と東武野田線の乗換で賑わう、千葉県北西部の中心的な地域になっている。 しかし、歴史的に見ればかつての柏は、水戸街道沿いの一農村だった。 江戸を出て、松戸宿…

夜行列車

夜行列車に座って、車窓の外を眺めている自分がいる。 高校三年の三学期、大館駅から夜行列車に乗った。 窓の外は、真っ暗だった。 ひとりで、旅行したことなんてなかった。 受験のために、出稼ぎに出てる父がいる横浜に向かった。 父が、とても授業料の安い…

「タァバン」のカレー

久しぶりに「タァバン」のカレーを食べに行った。 私の誕生日ということで「タァバン」にしてくれた。 私だけではなく、家族みんなのお気に入りの店である。子どもたちが、中学とか高校の時からで、もう10年以上通っている。 一度行くとすごく満足感があるの…

デラシネ

五木寛之氏のエッセイ集に「風に吹かれて」というのがあって、そのなかに「デラシネ」ということばがあった。 彼の作品を読んだのは、この著作が初めてだった。たぶん、「風に吹かれて」というタイトルに惹かれたのだと思う。 「デラシネ」は、フランス語で…

薪小屋で仕事をする

旅行先でパン屋の前を歩いていたら、店の前に薪が積んであった。 どうもピザ窯のための燃料ということらしかった。 私は、ピザがかなり好きである。パスタよりピザが好きだ。 なので、気になってしまった。 まだ、ピザを食べたことのない学生時代に読んだ狐…

人との出会い

4歳の孫娘と一緒に、東海方面へ旅行に行ってきた。 メンバーは、長男夫婦と長男のお嫁さんのご両親そして私たち夫婦である。 長男夫婦が、旅行を企画してくれた。 孫娘のお祝い事のたびに、一緒に食事などをしてきた。 そのときに、そのうちに一緒に旅行した…

馬橇の鈴音

「忍ぶ川」という映画が、1972年5月に公開されている。 主演は、栗原小巻さんと加藤剛さんだった。 私は、映画の原作となった三浦哲郎氏の小説を読んでもいないし、特に栗原小巻さんのファンでもなかった。でも、この映画を見た記憶がある。 1972年は、私が…

きりたんぽ

鍋物の季節である。 スーパーにはいろいろな鍋物のスープと食材が並んでいる。 私は、秋田出身なので、「きりたんぽ」である。 今でこそ、どこのスーパーの売り場にも真空パックの「きりたんぽ」と「比内鶏スープ」があるが、かつてはどこにも売ってなかった…

馬蹄の話

馬蹄形ということばがある。 だいたいが、馬のひづめの形。Uをひっくり返した形。みたいに説明している。 その形をしている具体的なものとしては、蹄鉄(ていてつ)というものになる。主に、馬のひづめを保護するために装着するU字型の保護具となっている。 今…

3D映像の故郷

生まれた育った村を離れてから、50年くらいになる。 でも、何年かに一度は帰っている。 姉のところに遊びに家族を連れて行ったこともある。 親戚の葬儀とかで帰ることが多かったかな。 今年も、2月に、伯母さんの葬儀で帰った。 夜行バスで朝着いて、レンタ…

森林鉄道の時代

人間の記憶は、他の何かと細い糸で繋がっているようだ。 ひとつ引っ張り出すと、それに繋がった何かも引っ張られて姿を現す。 ものごとは、常に他のなにかと繋がっている。 記憶の奥底に積もっていたものが、何かを思い出そうとした途端に動き出す。 先日、…

マクワウリとメロン

今年は、天候不順のため洗濯物が乾かず、コインランドリーによく通った。自宅から車で10分ほどのところに行っていた。そこは、駐車場が広く止めやすいので、舗装が一部分しかされておらず中途半端だが気に入っていた。 裏は、鬱蒼とした森で、横はかつては畑…

父と母のこと

誰でも、自分の両親のことをそんなに知ってるわけではないと思う。私も、父と母の若い頃の話はあまり聞いたことがない。何かの折に、話していたことを断片的に覚えているだけである。 今年、2月に母の長姉が亡くなり葬儀のために秋田に帰った。これで、父と…

インプット アウトプット

お父さんは、本を読んだり、パソコンしたり、 インプットしてるのしか見たことないけど、 このブログはアウトプットなのかな。 みたいなことを、ブログを読んでくれた長男に言われた。 ああ、そういうことなのかな、と思った。 文系の私と違って、理系の長男…

善九郎物語

数年前に、秋田にある父の実家の当主だった伯父さんが亡くなった。伯父さんの父親は、私の父親の長兄だったが、末子だった父とは親子ほど年齢が離れていた。だから、正確には、私にとっては伯父さんではなく、従兄である。 伯父さんは、「善九郎物語」という…

長持唄

私には、5歳上の姉と2歳上の姉がいる。 上の姉は、私がまだ秋田にいる頃に、隣村にお嫁に行った。 その頃は、自宅で結婚式をしていた。 嫁入り先から迎えが来て、それから迎えの一人が「長持唄」を唄った。そして、姉は、たぶん馬車に乗って嫁入り先に行っ…