天明三年癸卯のやよいより、しなのの国をわけて、もとせばとふ里に在て、月はしわすに至るまでをのす。
その頃の中姨捨やまにのぼり、月見しみちゆきぶりは《わかこころ》と名づけて一冊とし、あが波々、身まかり給ひて三とせのなきたままつりしことを、《手酬草(たむけぐさ)》といひて、いささかのながめどもあれど、ここにはこらしぬ。
はた、ひととせのことをのこりなう記いなのなかみちして、《易保努波流安貴(いほのはるあき)》てふ冊子あれば、四のときのをり/\をことごとにかかず、そのあらましをのするのみ。
此日記は伊奈の郡よりはじめたれば、《いなのなかみち》と名づけたり。
このひのもとにありとある、いそのかみふるきかんみやしろををがみめぐり、ぬさたいまつらばやと、あめの光よもにあきらけき御世の、おほんめぐみあまねくみつといふとし、長閑き春もきさらぎの末つかた、たびごろもおもひたち父母にわかれて、春雨のふる里を袖ぬれていで、玉匣ふたむら山をよそに三河路を離て、雨にきる三野のなかやまをかなたに、みすずかる科埜の国に入つるまでの日記は、しら波にうちとられたればすべなし。
おなじやよひの半に飯田のうまやにつきぬ。
応永の頃ならん、尹良親王、このあたりより三河の国におもむかかせ給ふおほんたびの余波、しかすがにおぼしひかれ給ひ硯めして、
「さすらへの身にしありなば住もはてんとまりさだめぬうき旅の空」
とながめ給ひて、千野伊豆守にたうばりたりけるとなん。
かくて、ゆきよしのみこは、此国の浪谷といふ山里のあらき滝河の辺にて、
「おもひきやいくせのふちをのがれ来てこの波あひにしづむべしとは」
とて、やがてかくれおましまししとか。
そのみたまを、其里のしりなるたか山のすゑに神と祭りて、処の人、良翁権現とあがめ斎ひ奉れり。
われあげまきのむかし、更科や姨捨山の月見んとて、その麓にたびねしたあした、まうで奉りしたことあり。
そのころ、ふたたびとひことかたらいし友がきの、此いひ田のうまやにもあれば、そこここと尋ねとふに、此月の朔ごろ、軒つづくやは、みな灰となりて、ありつる栖家もしられず。
人にとへば、老たるは世になう、世に在るは、おもきやまひしてなどかたり聞ゆれば、こはいかにとためらふ。
旅やどの前をゆき過るは、ふた歌を手ならふはじめより、あさゆふなりむつびたる、中根なにがしといふもの也。
とし月をへてあひみしかども、しかすがにおもはすれねば、なにがしにあらずやと呼ぶに、手をうちて、こはゆくりなう、いかにぞや。
あな久しう経て相見つることとて、さいだつなみだをかくして、かくや侍らん。まさに夜辺は夢の円居しつるなど、ことなきふしをよろこび、こし方のもの語よろづいひて、かた時のまに、老となり行うれへわするるくさつみてん。
いざ給へ、近きほとりにあないしてみんとて、ここをしばし行て風越山の麓なる、くくりひめをまつり奉る、ちいさきほくらのありけるみまえより、峰の雲、尾上の雪とまばゆきまで、ここらの桜いま盛なるに、こころうかれて、芝生のうえに居て、夕日うらうらとかげろふまでみててありて、
風越の山は名のみぞをさまれる御代の春とて花の静さ
つれなう、たかねおろしさつふき来て、雪をこぼすがごとくちる桜あり。
うべ西行上人の、
「風越のみねのつづきに咲花はいつ盛ともなくて散らん」
とながめらるたる、いにしへの春のあわれもしられたる。
遠の麓の梅は、いつちり過にけん、麓の雲のそこに鳴也と時鳥をきき、雲井に見ゆると望月の駒をおもひ、裾野の薄、ほにいづるを手酬にと聞え、しろたへの雪ふきおろす峰の月かげの、など残りたるふるごとを、ずしてかへり見がちに、
心して峰吹かよへ風越のふもとのさくらちりなんもうし
此ふもとをさきていでくれば、前にさか壺すへて、ものあきなふやの、かやふける軒に、大なる桜の今まさかりなるを、行かふ人々とどまりて、又たぐふかたのあらじ。
此花のもとにとて、あくらによりのぼりて酒のみあふぐは、心なきにしもあらじかし。
人ごとにながるる霞たちさらで花のかげくむ春の盞
十八日、ある人にいざなはれ花見ありけば、竜阪といふをおくりとて、桜あまた立ならびたるを右に見、左に見つつ、やをら麓になれば、松ども多く生ひたてる中より、いみじう咲たるは、山かぜもへだててよそにふきつべけれど、
吹来るはいとふものから桜花かぜの宿の松としらずて
峰より花のちりくる夕栄、ものにたとへつべうなけん。
春霞よきてよしばしたつ坂に盛まばゆき花のあてりは
十九日 天流河の河原に行たりしかば、岸波ゆすりてたかうたち、みなはわきかへるあら瀬の浪に、筏たたみて入てうきしづみ、よねつみてとくくだるは、遠つあふみに行とか。
水上の花のさかりのこととはんやよまてしばしくだすいかだし
洲輪の海の氷の橋も、神やわたり給いけんかし。
みかさいたくまさりて、ふちせもしらずたか浪のうつに、
諏方の海汀にむすぶひもかがみとくながれ行あめの中川
廿一日 ふたたび風越の山ぎは近くゆけば、柴おひたる、をきなのわけ来るは、
「風越のみねよりくだるしずの雄が岐岨のあさぎぬまくりてにして」
といふ歌のこころにも似て、いとおかしうおもふに、桜あらぬそがひより、をこへこへにわけ行もねたう見やり、
咲花にそむく心はあさ衣の袖はにほはん風越のやま
とながめてければ、柴人の見たたずむもあやしく、比翁にかはりて、
したつ枝はさはらんもうしとまくり手に花を分こし木曽の麻衣
廿四日 あたご坂をくだりくとて、城山のはなざかり、なに水のながるるなど、よしあるさまにおぼえて見る見る行ば、おなじところに、けふもくれかたになりぬれば、あやなうながめたり。
あくがれてながき春日もくれなゐのうす花桜色見えぬまで
廿八日 きのふ見しはあなたのがけみち、けふはこなたよりとて、松河といふ水をわたらんといたれば、雨のゆくりもなうふり出でものうきに、人あまた、ぬるとも花のと、行もはてず。
細きみちに、ねりとまるしりにたちて桜のおりける辺にて、
春雨にあすはうつらんさくら花いざ木のもとにぬれつつも見ん