晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

映画の時代

東京オリンピック2020は、どうなるのだろうか。

記録映画の監督は、川瀬直美さんに決まっているらしいが、今たいへんなんだろうな。

私の少年時代の東京オリンピック1964は、市川崑さんだった。

学校みんなで町の映画館まで見に行った。

小さな町だったけど、映画館は二つあった。

映画の内容は記録映画って感じじゃなかった。

もう一つの映画館は親戚なので、タダで見せてもらった記憶がある。

七色仮面」だった。

仮面が流行りだったようだ。

月光仮面ナショナルキッド白馬童子も顔を隠してた。

洋物だと、怪傑ゾロというのもあった。

顔全体ではなく、目の周りを隠してた。

でも、小学生の頃に田舎の村にもポツポツとテレビのある家が増えていった。

たぶん、うちはうんと遅い方だったと思う。

それでも、中学1年の時に来日したビートルズの公演をうちの白黒テレビで見たことは覚えている。

もうビートルズを知っていた。

学校では、毎年体育館の舞台にスクリーンを張って映画会をやっていた。

今の芸術鑑賞会だろう。

ディズニーなどいろいろなものをやつていたと思うが、今でも覚えているくらい印象に残っているのは、「敵は本能寺にあり」主演は東千代之介だった。

青年団主催の映画会もあって、これは夜やっていた。

小林旭の「ギターを持った渡り鳥」

ヘリコプターにぶら下がって降りてくる。

カッコよかった。

「映画の時代」から「テレビの時代」に変わりかけていたんだと思う。

この後、高校生になって「音楽少年」になるが、同時に「映画少年」でもあった。

毎月、少ない小遣いで映画を見に行ってた。

長編2短編1の三本だてで200円しなかった。

きっかけは、入学してすぐに友人に連れられ行った「ロミオとジュリエット」かもしれない。

レナード・ホワイティングとオリビア・ハッセーそしてニーノ・ロータの音楽。

オリビア・ハッセーは私とたいして年も違わず(2歳年上、撮影した頃は同じくらいかも)若々しく演技のインパクトが強かった。

時代は、アメリカン・ニューシネマ、好きな音楽に絡んだものを選んでたような気がする。

イージー・ライダー」「ウッドストック」「真夜中のカウボーイ」「いちご白書」ビートルズのレコーディングのドキュメンタリー「レット・イット・ビー」。

何回目のリバイバル上映だったのか「ウエストサイド物語」。

印象的だったナタリー・ウッドは後年事故で亡くなった。

十戒」「ベン・ハー」「アントニークレオパトラ

そして「カラマーゾフの兄弟」ドミートリ、イヴァン、アリョーシャ、スメルジャコフ。

個性的な登場人物。

それまで見たことのない映画。

ロシア文学を読んだことがなかった私がドストエフスキーを読むようになった。

その後、毎月映画館に通うことはなくなつた。

今は、「夫婦割50」というのがあるので、もうすこし活用していいかなと思う。

 

 

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