手賀沼を歩いてきた。かなり暑かった。
手賀沼はいつ行っても、何か花が咲いている。
今日は、紅色のサルスベリ。
白やピンクもあるらしい。
漢字だと百日紅。
猿ものぼれないくらい幹がツルツルだ。
そして、山法師の実が、緑から赤に変わるところだった。
サッカーボールみたいにボツボツしてオモチャみたいでかわいい。
白い大きな花穂がいっぱいついている背丈ほどの多年草があった。
たしか、去年も咲いていた。
これは、オオイヌタデらしい。
1976年、就職のために横浜から千葉県に来て初めて住んだのが我孫子だったので、とてもはっきりと記憶に残っている。
住居から4、5分歩くと「杉村楚人冠公園」というのがあつて高台から手賀沼を見下ろすことができた。
お決まりの散歩コースだった。
横浜では、鶴見川の土手まで少し歩くと行けるのところに住んでいた。
鶴見川は日本一汚れた川と言われていた。
手賀沼はその2年ほど前から日本一汚れた湖沼になっていた。
なんだよ、と思った。
その後、北千葉導水路により利根川の水を手賀沼に導入するようになり水質が改善した。
しかし、近年また悪化しているようだ。
でも、私は手賀沼がとても気にいっている。
この地域、千葉北西部の「宝」だと思う。
手賀沼は、北岸が我孫子市でサイクリングコース、遊歩道、一般歩道から成っている。
南岸は柏市で、サイクリング、ランニング、ウォーキング用にすべて整備されている。
大堀川や大津川が流れ込んでおり釣り人がいつも糸をたれている。
また、いろいろな野鳥を見ることができる。
写真愛好者にとっても、かけがえのない場所だと思う。
「てがぬまカレンダー」というのが30年以上前から発行されている。
これは「手賀沼写真コンクール」の応募作品から選ばれた作品でできているらしい。
手賀沼は、JR北柏駅、JR我孫子駅、JR東我孫子駅、JR湖北駅の南部に手賀大橋を中心にした形で、東西に広がっている。
しかし、干拓によって小さくなってしまう前の手賀沼は今の5倍の広さがあったそうだ。
5倍の広さの手賀沼ってどんな感じなんだろう。
見てみたい。
東に湖北、布佐、更に現在「下手賀沼」として残っている白井市浦部、平塚辺りまで広がっていて「つ」のかたちをしていたという。
湖北は、昔湖北村だったらしい。
湖の北にある村だったのが、今はその湖がなくなっている。
たしかに、地図を見ると「新田」という地名が多い。
戸張の先に戸張新田、大井の先に大井新田、箕輪の先に箕輪新田といった具合である。
これらはみな湖面だったのだろう。
手賀沼の周辺には、多くの城趾が残っているが、今より湖面が広かったと考えると、松ヶ崎城趾、戸張城趾、大井城趾、箕輪城趾なども、船着場の上にあったのかもしれない。
いろいろと想像が広がっていく。