甘七日 この里の人々とぶらひ来て、すむは八橋の近きにや、今もみづゆく河やながるゝ、燕子花の咲るやなどとひもて、熊谷直堅のかいつけける。
けふよりは心へだつなかきつばた咲紫のいろもかはらで
とよめる返し。
いかに又こゝろへだてん垣津幡はなの言葉の匂ふいろかに
くすし義親の、
音にのみいまだ三河のかきつばたふかき色香をあせずかたらへ
かくなんありけるに、返し。
垣つばた生ふとはすれど川水の浅き心はいかゞかたらん
甘八日 くすし可児永通のやにとぶらへば、あるじとりもあへず、れいの、すきたるすぢとて、
五月雨のふりくらしたるこの宿にとひ来る月のかげもはづかし
とかいて、老のひがごと、これ見てとてさし出しけるに返し。
さみだれのふるきをしたふ宿なればさしてとひよるかげもはづかし
水無月七日 岩垂といふところに人にいざなはれて行に、不尽塚といふ森あり。此やつかにのぼれば、ふじのみゆといふめる。
はるかなるながめをこゝにするがなるふじのたかねのゆきゝとゞめて
しりにたちくるすぎやう者、不二は見えねど、しかいふ、たゞ此塚の名なりとて、その邑に近く、山河たぎちながれたり。
末はかく淵とよどめど莓つたふ雫いはたる水のみなかみ
この村の岩垂なにがしといふがやをとふに、ゐくはまゆのいと多く、まゆごもりして宿はいぶせきと、やのとうめのいへるは、
「たらちねの親のかふこのまゆごもりいぶせくもあるか妹にあはずて」
といふ、ながめのこころにもかなへり。まことに璽の数多ありけり。
夏引のいとなむわざやしげからんとるてあまたのまゆ作りして
雨のふり来れば、こよひは、いぶせくとも一夜とまりてと、なさけなさけしう、あるじ。
雨ふれば淋しき宿にとゞめてもあけなば行むもとせばのさと
歌はをさなけれど、まことはいとふかし。此返し。
こよひふる雨ははれてもあけば又ぬれてわかれん袖やうからん
十日 「もとせばの里の夏」てふことを、沓冠によめと人のいへば、
もりにけさとさし近しと蝉の声の葉末もれてな軒に鳴たつ
又、青松山のすゞみといふことを、おなじさまに、
あかすのみをのへをてらすまちも見ずつきの葉分のやへの重やま
ある人、牡丹の葉折もて、これをもよみてなどありけるに、「ふかみ草ちりしのち」てふことを、
ふりひたちかすみし山のみねもなしくさのみ茂りさくる通ひち
十二日 青松山のみてらにまうづれば、大智禅師、瑩山禅師のみたまをまつり給ふに、「運華台上舎那身、天上人間称独尊、七仏以前通血脈、釈迦弥勒是児孫」といふことを、
はちすさく 花のうてなに すめる身は
あまつ空より よのなかに 独たふとき
君よかく なゝつのほとけ あらはれぬ
共さきつ世に つたへにし ちすぢの法と
開からに さかもみろくも こやむまこかも
いにしへの雪のやま人いまだよに出こぬ月のさきにこそすめ
十四日 熊谷氏の閑居しける庵の、庭もせに、牡丹を植えたりけるなかに、葉ひろく生ひ立る、姿ことなるあり。これなん、実うへしてはじめて咲つるが、花のめでたかりしよしをいへれば、
見ぬ色のいとどゆがしきことしよりさくもはつかの花のおもかげ
あるじ、おかしとやとおもふ、あまたたびずしぬ。やをら隆喜がやに、甘七日 この里の人々とぶらひ来て、すむは八橋の近きにや、今もみづゆく河やながるゝ、燕子花の咲るやなどとひもて、熊谷直堅のかいつけける。
けふよりは心へだつなかきつばた咲紫のいろもかはらで
とよめる返し。
いかに又こゝろへだてん垣津幡はなの言葉の匂ふいろかに
くすし義親の、
音にのみいまだ三河のかきつばたふかき色香をあせずかたらへ
かくなんありけるに、返し。
垣つばた生ふとはすれど川水の浅き心はいかゞかたらん
甘八日 くすし可児永通のやにとぶらへば、あるじとりもあへず、れいの、すきたるすぢとて、
五月雨のふりくらしたるこの宿にとひ来る月のかげもはづかし
とかいて、老のひがごと、これ見てとてさし出しけるに返し。
さみだれのふるきをしたふ宿なればさしてとひよるかげもはづかし
水無月七日 岩垂といふところに人にいざなはれて行に、不尽塚といふ森あり。此やつかにのぼれば、ふじのみゆといふめる。
はるかなるながめをこゝにするがなるふじのたかねのゆきゝとゞめて
しりにたちくるすぎやう者、不二は見えねど、しかいふ、たゞ此塚の名なりとて、その邑に近く、山河たぎちながれたり。
末はかく淵とよどめど莓つたふ雫いはたる水のみなかみ
この村の岩垂なにがしといふがやをとふに、ゐくはまゆのいと多く、まゆごもりして宿はいぶせきと、やのとうめのいへるは、
「たらちねの親のかふこのまゆごもりいぶせくもあるか妹にあはずて」
といふ、ながめのこころにもかなへり。
まことに璽の数多ありけり。
夏引のいとなむわざやしげからんとるてあまたのまゆ作りして
雨のふり来れば、こよひは、いぶせくとも一夜とまりてと、なさけなさけしう、あるじ。
雨ふれば淋しき宿にとゞめてもあけなば行むもとせばのさと
歌はをさなけれど、まことはいとふかし。此返し。
こよひふる雨ははれてもあけば又ぬれてわかれん袖やうからん
十日 「もとせばの里の夏」てふことを、沓冠によめと人のいへば、
もりにけさとさし近しと蝉の声の葉末もれてな軒に鳴たつ
又、青松山のすゞみといふことを、おなじさまに、
あかすのみをのへをてらすまちも見ずつきの葉分のやへの重やま
ある人、牡丹の葉折もて、これをもよみてなどありけるに、「ふかみ草ちりしのち」てふことを、
ふりひたちかすみし山のみねもなしくさのみ茂りさくる通ひち
十二日 青松山のみてらにまうづれば、大智禅師、瑩山禅師のみたまをまつり給ふに、
「運華台上舎那身、天上人間称独尊、七仏以前通血脈、釈迦弥勒是児孫」
といふことを、
はちすさく 花のうてなに すめる身は
あまつ空より よのなかに 独たふとき
君よかく なゝつのほとけ あらはれぬ
共さきつ世に つたへにし ちすぢの法と
開からに さかもみろくも こやむまこかも
いにしへの雪のやま人いまだよに出こぬ月のさきにこそすめ
十四日 熊谷氏の閑居しける庵の、庭もせに、牡丹を植えたりけるなかに、葉ひろく生ひ立る、姿ことなるあり。これなん、実うへしてはじめて咲つるが、花のめでたかりしよしをいへれば、
見ぬ色のいとどゆがしきことしよりさくもはつかの花のおもかげ
あるじ、おかしとやとおもふ、あまたたびずしぬ。やをら隆喜がやに、瞿麦多くうへたりけると間て見に行しかば、今盛なる花に、今のこりたるあさ露おもげに、風情ことなり。
いろ/\の玉とし見えて自露の光掠しき床夏の花
十五日 此里の祭なりとて、近き村々の人さはに立あつまり、やがて引わたしぬ。
しら布によそひたる馬に、にぎてさしてひき、神の御名しるしたる幡おしたて/\行は、たいめいのみちゆきぶりをまねび、鈴の音こゞしう馬曳行男、御世のためしを、ちよ万代とうたひ、つゞみ、笛どよめきたるに、獅子頭をかざし、あるは車おし促に、わざおぎまひのたはれせり。
此、ねるしりにたちて御祠にまうづれば、御前に弓箭、とりものかざり立て、ほうり、まうづる人のかしらを、五色のぬさもてきよかれとうちはらふに、神子は、ゆにはにおりたちて竹の葉ふりがざし、
と、祝、あまたの声にうたふをきゝつゝ、
いか斗神やうくらん君が代はちよもととよみうたふみやつこ
又ひろまへに人々うた奉りければ、われも、
広前の玉串の葉の夕栄て入日にみがく影ぞ涼しき
永通
幾世へん栄をこゝにみやしろのにぎはふけふをいのる里の子
直堅
石清水きよきながれの末遠みこゝにもうつすかげぞかしこき
十六日 熊谷直堅のやにとぶらひしかば、
「春雪に心そゝぎて出行ば猶神風の身にやしみなん」
又
「神路山いはね小坂もふみこえていざみて帰れ駒のあしなみ」
此ふたくさは、三溝隆喜の子いせまうでしけるをりしも、わがよみて、をくりしたりけるを、そのかへさに都にのぼり、あき人の家にしるべありて、やのうへの宿りして、なにくれと旅の調度どもつゝみ、てうしけるほどに、この歌かいたる紙を風の吹ちらし、人の、ものかたらひをる前におちゐたるを、此男うち見て、ふところにしてもてかへり、あがつかへ奉る、今城何がしの君とかやに御らんぜさす。
君おかしとやおぼしたまひけん、よからぬふしはかいけち、おかしくふでそへ、おほん手づから清らにかいあらためて此男にたばひたるを、かの男ふたゝびあき人が家に来て、しかじかのこと也。
是なん、そのたび人に見せてとて、さみぞたかよしが子の、都のつとにとて、ゆくりなうわれにくれたりけるは、身にあまりぬる、かしこきおほん恵にあひつると、こよなうよろこぼひてければ、
雲井まで誘ふ言葉の花の香を吹返す風の例やはある
瞿麦多くうへたりけると間て見に行しかば、今盛なる花に、今のこりたるあさ露おもげに、風情ことなり。
いろ/\の玉とし見えて自露の光掠しき床夏の花
十五日 此里の祭なりとて、近き村々の人さはに立あつまり、やがて引わたしぬ。
しら布によそひたる馬に、にぎてさしてひき、神の御名しるしたる幡おしたて/\行は、たいめいのみちゆきぶりをまねび、鈴の音こゞしう馬曳行男、御世のためしを、ちよ万代とうたひ、つゞみ、笛どよめきたるに、獅子頭をかざし、あるは車おし促に、わざおぎまひのたはれせり。
此、ねるしりにたちて御祠にまうづれば、御前に弓箭、とりものかざり立て、ほうり、まうづる人のかしらを、五色のぬさもてきよかれとうちはらふに、神子は、ゆにはにおりたちて竹の葉ふりがざし、
と、祝、あまたの声にうたふをきゝつゝ、
いか斗神やうくらん君が代はちよもととよみうたふみやつこ
又ひろまへに人々うた奉りければ、われも、
広前の玉串の葉の夕栄て入日にみがく影ぞ涼しき
永通
幾世へん栄をこゝにみやしろのにぎはふけふをいのる里の子
直堅
石清水きよきながれの末遠みこゝにもうつすかげぞかしこき
十六日 熊谷直堅のやにとぶらひしかば、
「春雪に心そゝぎて出行ば猶神風の身にやしみなん」
又
「神路山いはね小坂もふみこえていざみて帰れ駒のあしなみ」
此ふたくさは、三溝隆喜の子いせまうでしけるをりしも、わがよみて、をくりしたりけるを、そのかへさに都にのぼり、あき人の家にしるべありて、やのうへの宿りして、なにくれと旅の調度どもつゝみ、てうしけるほどに、この歌かいたる紙を風の吹ちらし、人の、ものかたらひをる前におちゐたるを、此男うち見て、ふところにしてもてかへり、あがつかへ奉る、今城何がしの君とかやに御らんぜさす。
君おかしとやおぼしたまひけん、よからぬふしはかいけち、おかしくふでそへ、おほん手づから清らにかいあらためて此男にたばひたるを、かの男ふたゝびあき人が家に来て、しかじかのこと也。
是なん、そのたび人に見せてとて、さみぞたかよしが子の、都のつとにとて、ゆくりなうわれにくれたりけるは、身にあまりぬる、かしこきおほん恵にあひつると、こよなうよろこぼひてければ、
雲井まで誘ふ言葉の花の香を吹返す風の例やはある