晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

アルバイトの話

私の初めてのアルバイトは、大学一年生の夏休みだと思っていたのだが、よく考えたらそうではなかった。小学生の時にヤクルトおばさんならぬ、ヤクルト少年をやっていた。三十数軒の小さな村の、10軒くらいにヤクルトを配達してた。たぶん、15分か20分くらいで終わったと思う。ヤクルトを扱っていた商店が親戚みたいな付き合いだったので、私が頼まれたのだ。やっていたのは、ほんの1、2年だと思う。でも、少年サンデーが何冊か買える月額はもらってもいた。少年サンデーは、30円とか、40円という時代である。

 

私の学生時代のアルバイトといったら、学生援護会の「日刊アルバイトニュース」である。これが、学生の必需品だった。ケータイもネットもない時代である。日刊というのが、今考えるとすごい。たぶん、何十円かだった。

田舎から出てきた少年が初めてやったアルバイトが、自動車部品の倉庫係だった。注文伝票と台車で広い倉庫から注文の品を探していた。自動車部品なので、ボルト、ナットの小さなものから、マフラーのようなでかいものまである。東京トヨペットの倉庫だったので、東京の営業所宛にコンテナに詰めて発送してた。

今だったら、端末を持たされて ピッキングなんだろうが、何にもない時代なのでのんびりやってた記憶がある。

 

アルバイトは、夏休みと冬休みにやってた。次からは、倉庫の仕事が埋まっていて、隣の敷地にあるトヨタ自動車の工場になった。完成車の点検作業で、流れ作業である。3分に1台の車が流れてくる。3分間にしなければならない作業工程が何十?とある。流れ作業を経験した人はわかると思うが、流れ作業はつらい。ひたすら5分間の休息時間を待つだけだ。作業も、上の仕事と下の仕事がある。

下の仕事は、のコックピットみたいなところに潜り込んで、頭のうえを通り過ぎる車の点検をする。閉所が苦手な人は耐えられない。

上の仕事は、ハンドルのまわり具合、アクセル、ブレーキの踏み込み、エンジンオイル量など、数え切れないほどある。手際良くやらないと3分間で終わらない。

 

最終学年の年は、音響機器の部品のメッキ工場で働いた。

ステレオなどのフロントパネルというのがある。最近はあまり見ないが、シャンパンゴールドのキラキラするパネルがかつては使われていた。そのパネルを加工していた。

工程を簡単に説明すると、次のようになる。

パネルを金属タワシで磨く。

パネルを薬品で洗う。

パネルを薬品に浸し、電流を流してメッキする。

詳しくは、忘れたが硫酸だか塩酸だか危険な薬品を使っていた。

 

定年で退職したあと、少しはアルバイトでもしたほうがいいかな、と考えた。

でも、時間的にフリーというのが、自分の長年の夢だったなあ、と考えるとなかなか思い切れなかった。

そのうちに、何年も経ってしまった。

 

 

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