晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

ビンボー旅行に出発

旅行なんてしたことのない私が、2ヶ月弱の夏休みアルバイトを終えて旅行に出発した。50年前の話です。

JR(当時は国鉄)の周遊券ユースホステルの組み合わせが、私の選択だった。たぶん、それが最も安価な旅の選択肢だった。

周遊券は、有効期間がたっぷりあった。北海道周遊券は、1ヶ月もあった。特急は乗れなかったが、べつの先を急ぐ旅ではないので問題なかった。

ユースホステルは、他に比べて圧倒的に安かった。1200円とか1300円くらいで2食付きで宿泊できた。民宿が次に安かったと思うが、4000円以上はした。もちろん、相部屋、2段ベッドである。夕食後に、交流会があってゲームをやったり、歌を歌ったりしてた。青少年のための教育施設的な性格があったような気がする。

でも、みんな気にしてなかった。泊まれるだけで、充分だったので。もっと安く済ませたい奴は、駅の軒下で寝袋に入って横になっていた。

小田実さんが「何でも見てやろう」を書いて、世界のユースホステルに泊まって世界一周をしていた。「何でも見てやろう」を私は読んでないが、高校生の時、図書室にあった小澤征爾さんの「ボクの音楽武者修行」を読んだ。小澤さんは、スクーターでヨーロッパをまわり、指揮者コンクールに参加し、優勝する。この時代、外国に行くだけで十分にぜいたくである。

ユースホステルは、現在は200施設まで減っているが、私が利用していた1974年がピークで587施設があったそうだ。ユースホステルは、20世紀初めに、青少年少女が安全に旅ができるようにドイツで始まった運動から生まれたらしい。世界60ヵ国に3500施設あって、そのうち三分の二はヨーロッパにあるそうだ。

私は、ユースホステル協会の会員でなかったのでもっぱら誰でも利用できる公営ユースホステルを使っていた。

このあと、バブル期となり家族旅行で子供のころから旅館ホテルは当たり前になる。

旅が特別なことではなくなる。あたりまえなことになる。

「ビンボー」ということばを使ったが、誰もビンボーとは思っていなかった、と思う。旅は特別なことだったので。

今は、利用料金が素泊まりで3500円くらいで、会員でないと600円プラスになる。それで、相部屋である。

ビズネスホテルという選択肢がある。いろいろ条件を考えると、よっぽどユースホステルを使いたい理由がない限りユースホステルにはならないだろう。

この先、ユースホステルが存続できるのかいらない心配をしてしまった。今は、ファミリールームのような個室のあるところもあるらしいので、一度利用してみたいなと思う。

 

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