晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

いなのなかみち⑥ 菅江真澄テキスト

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

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十八日 永通がやに洞月上人とぶらひたまひて、砌に、としふる柿の樹の下の、風涼しう吹かたにむしろしいて、上人の、

 

   いにしへをこゝにうつして柿の本聖のをしへあふぐかしこさ

 

かくなんありて、われにもひたにいへれば、

 

   露斗恵もかかれ柿本すゑ葉にたどる身をもあはれと

 

この夕、蛍あまた紙の帒にいれて、窓におきたるを、

 

   おこたりの身をもおもへどおこたらず照す蛍の窓の光は

 

十九日 つとめて月の涼しう残たるに、うす雲のひきながれたるは、床尾といふ山也。

 

   夏衣の床尾の峰はいとはやも明てかすかに有明の月

 

二十日 朝開のまどに、ひとりうちむかふ。

此里は、こと国よりもいと涼しく、あしたゆふべは、いまだあつ衣のみ重ねきて、やゝふと麦苅をさめ、まゆ引くわざすれど、蕎麦畑は今青みわたり、草木の花は、春のも夏のもその野山に咲まじりて、卯花、そり、しらになどは五月雨にうつろひ、みな月のもちに、布士ならぬ雪のたかねたかねをあふぎ、氷室は軒ばのやまにやあらんと、ひとりごちたるに、たけめせとて、くさびらもてありくあき人の衣、さと吹返す風は袖寒きまで吹通ふに、

 

   見るたびに涼しかりけり夏ぞともいざ白雪の消ぬたかねは

 

廿五日 松本の郷のくすし沢辺何がしは、十とせのむかし、その里の小松有隣、吉員など、月のむしろにかたらひし人なれば、ふみかいて、けふ、その処の祭見に行人にたぐへて、

 

   月にとひ花にとはんと思ひこしあだに十とせも過し春秋

 

といふ歌つかはしたる。夕つかた、返しもて来ぬ、雲夢。

 

   十とせあまりわすれやはする花にめで月に遊びし春秋のそら

 

甘七日 永通がやに人々あつまりて、うたよみくれて、いざかへらんと出たつに、いましばしと、あるじのとヾめしときうちたはれて、くすしよしちかのいはく、

 

   話りあふ言の葉草も水無月やあきの来ぬまにいざ帰りなん

 

庭のなでしこを見て、さみぞたかよし。

 

   やがて来る秋とはしれど此宿にとこなつかしくかたりこそすれ

 

となんありけるに、あるじにかはりておなじう。

 

   秋のくるおもひはさらに夏の田のいねとはいまだ穂にもいださじ

 

廿八日 熊谷がやの、しりにありけるい窟に入ぬ。しばし小坂くだれば、内ひろく、ほのぐらく、風ひやゝかに吹たり。

 

   夏とえもいはやのうちの涼しさはうき世にしらぬ風通らし

 

あるじの云、このいはやどは、六十のとし過しむかしに、ふと見つけたりけるが、いかなるわざにほりしともおもはへずと。

 

廿九日 船納涼といふことを、隆喜の句に、

 

   舟に聞く涼しき声やまつのかぜ

 

とありけるに、

   みの毛ふかれて眠る自鷲

 

と和句せり。このゆふべ夏祓を、

 

   心まで涼しがりけり御祓河あつさも波のよそにはらひて

 

ふん月の朔 ものにまうでんとて軒端の山にのぼれば、ようべの雨にや木々の雫ふかう、空もまたうちくもり風涼しう。

遠かたを見やれば、きちかうが原は青海原のごとく、みどりのむしろしきつかと。

うすうもみぢぬとも、又枯生とも見やらるゝは、苅残したる麦ばたけにや。

犀河の流は北南に、竜のわだがまるかたにひとし。

黒き森に白き幡の吹なびくは、みてらにや。

うちそむけば、青松山の止静堂の中まで見入たり。

まづ、みやしろのあるにぬさとりぬ。

このみねは、そのかみ、なにがしの守のすみたまひけるころ、城おとしてんと、谷々に兵あまたをふしかくして、水のとぼしきことをやはかりてん、よもやもをかくみたれば、水にうへて、のこりなうしにほろびなんと、まち/\てけるほどに、城の辺には、こゝらの馬引いでて高岡にならべて、よねもて水のやうに、ひたあらひにあらひしがば、兵等あふぎ見て、こは、わく泉やあらん、なせめそとて、かくみ、ときたりけるとなん。

さりければ其ときよりぞ、ところの名をも馬あらふとかいて、せんばとはよみ、今はたゞ洗馬といふめるなど語ぬ。

雲の中より峰遠くあらはれたるは、有明の山なり。

 

「夏ふがきみねのまつが枝風越えて月影涼しあり朝の山」

 

といふ歌も、こゝにいふながめとも、

 

「花の色は三月の空にうつろひて月ぞつれなきあり明の山」

 

とは、越にありとも、此山ともいふなりけり。

見るがうちに、なごりなう雲おほひて、

 

   心あらば秋風ざそへ村雲の中にへだててあり明のやま

 

   見るかげはそこともえこそ白雲にたちかくろひて有明の山

 

かくて此たかねをめてにくだりて、やはたのみやしろにぬさ奉れば、うなひめの袖に、すゞの実こき人て来るを、このとしもいたくなりしか、こはいかゞせん。

此竹の実の多くなるとしは、世のなりはひの、よからぬなどいふもうたてくて、

 

   ひろまへの風になびきてなるすヾや豊年のくるしるしなるらし

 

この帰さ観世音にぬかづくほど、雨なんふりこんとて、いそぎ行く野路に、女郎花の、木の下に一二本咲たるあり。

 

   講にかくうしろめたしとをみなへし草葉がくれの色や見すらん

 

二日 洞月上人の方丈のむろにとぶらへば、上人、こゝもまだうき世也けり。

此三とせのはどは、古見てふかた山里に、しるべばかりの草ふける庵に在て、月花のたよりもいとよかりければ、さながら心の月も、ひとりすみ渡るおもひしたるを、こゝらの人をみちびきて、青松山にすみねと人々のせちに聞えつれば、いなびがたく、ふたゝび世に出で此寺になどありければ、

 

   洞の中によしかくるともあらはれん世に明らけき月の光は

 

夕ぐれちかう、ものの音いたくひゞきたりけるに、ふみよみたるもとゞめて人々かうがへ、又かんだち[なる神をいへり]かといへば、さなん空のけしきともなし。

近きとなりの板しきに、臼やひきてんとてやみぬ。

又とひ来る人のいはく、今の音聞しか又なりぬ。

こはさきつ日より、浅間が岳いたくやけあがる音なりと、今通づし旅人に聞しなどいへり。

 

三日 はし居の軒に、夕月の光ほのかにてれり。

 

   書月の三日の月影見てしより葉月の望ぞよみまたれぬる

 

五日 ある人の、回文の歌よめといひしとき、

 

   草花はさく野辺の生よしなの野の名しよぶのべのくさばなはさく

 

又神祇のこゝろを、

 

   むべぞかやよゝのよみかき音にかに遠き神代の世々やかぞへむ