十八日 永通がやに洞月上人とぶらひたまひて、砌に、としふる柿の樹の下の、風涼しう吹かたにむしろしいて、上人の、
いにしへをこゝにうつして柿の本聖のをしへあふぐかしこさ
かくなんありて、われにもひたにいへれば、
露斗恵もかかれ柿本すゑ葉にたどる身をもあはれと
この夕、蛍あまた紙の帒にいれて、窓におきたるを、
おこたりの身をもおもへどおこたらず照す蛍の窓の光は
十九日 つとめて月の涼しう残たるに、うす雲のひきながれたるは、床尾といふ山也。
夏衣の床尾の峰はいとはやも明てかすかに有明の月
二十日 朝開のまどに、ひとりうちむかふ。
此里は、こと国よりもいと涼しく、あしたゆふべは、いまだあつ衣のみ重ねきて、やゝふと麦苅をさめ、まゆ引くわざすれど、蕎麦畑は今青みわたり、草木の花は、春のも夏のもその野山に咲まじりて、卯花、そり、しらになどは五月雨にうつろひ、みな月のもちに、布士ならぬ雪のたかねたかねをあふぎ、氷室は軒ばのやまにやあらんと、ひとりごちたるに、たけめせとて、くさびらもてありくあき人の衣、さと吹返す風は袖寒きまで吹通ふに、
見るたびに涼しかりけり夏ぞともいざ白雪の消ぬたかねは
廿五日 松本の郷のくすし沢辺何がしは、十とせのむかし、その里の小松有隣、吉員など、月のむしろにかたらひし人なれば、ふみかいて、けふ、その処の祭見に行人にたぐへて、
月にとひ花にとはんと思ひこしあだに十とせも過し春秋
といふ歌つかはしたる。夕つかた、返しもて来ぬ、雲夢。
十とせあまりわすれやはする花にめで月に遊びし春秋のそら
甘七日 永通がやに人々あつまりて、うたよみくれて、いざかへらんと出たつに、いましばしと、あるじのとヾめしときうちたはれて、くすしよしちかのいはく、
話りあふ言の葉草も水無月やあきの来ぬまにいざ帰りなん
庭のなでしこを見て、さみぞたかよし。
やがて来る秋とはしれど此宿にとこなつかしくかたりこそすれ
となんありけるに、あるじにかはりておなじう。
秋のくるおもひはさらに夏の田のいねとはいまだ穂にもいださじ
廿八日 熊谷がやの、しりにありけるい窟に入ぬ。しばし小坂くだれば、内ひろく、ほのぐらく、風ひやゝかに吹たり。
夏とえもいはやのうちの涼しさはうき世にしらぬ風通らし
あるじの云、このいはやどは、六十のとし過しむかしに、ふと見つけたりけるが、いかなるわざにほりしともおもはへずと。
廿九日 船納涼といふことを、隆喜の句に、
舟に聞く涼しき声やまつのかぜ
とありけるに、
みの毛ふかれて眠る自鷲
と和句せり。このゆふべ夏祓を、
心まで涼しがりけり御祓河あつさも波のよそにはらひて
ふん月の朔 ものにまうでんとて軒端の山にのぼれば、ようべの雨にや木々の雫ふかう、空もまたうちくもり風涼しう。
遠かたを見やれば、きちかうが原は青海原のごとく、みどりのむしろしきつかと。
うすうもみぢぬとも、又枯生とも見やらるゝは、苅残したる麦ばたけにや。
犀河の流は北南に、竜のわだがまるかたにひとし。
黒き森に白き幡の吹なびくは、みてらにや。
うちそむけば、青松山の止静堂の中まで見入たり。
まづ、みやしろのあるにぬさとりぬ。
このみねは、そのかみ、なにがしの守のすみたまひけるころ、城おとしてんと、谷々に兵あまたをふしかくして、水のとぼしきことをやはかりてん、よもやもをかくみたれば、水にうへて、のこりなうしにほろびなんと、まち/\てけるほどに、城の辺には、こゝらの馬引いでて高岡にならべて、よねもて水のやうに、ひたあらひにあらひしがば、兵等あふぎ見て、こは、わく泉やあらん、なせめそとて、かくみ、ときたりけるとなん。
さりければ其ときよりぞ、ところの名をも馬あらふとかいて、せんばとはよみ、今はたゞ洗馬といふめるなど語ぬ。
雲の中より峰遠くあらはれたるは、有明の山なり。
「夏ふがきみねのまつが枝風越えて月影涼しあり朝の山」
といふ歌も、こゝにいふながめとも、
「花の色は三月の空にうつろひて月ぞつれなきあり明の山」
とは、越にありとも、此山ともいふなりけり。
見るがうちに、なごりなう雲おほひて、
心あらば秋風ざそへ村雲の中にへだててあり明のやま
見るかげはそこともえこそ白雲にたちかくろひて有明の山
かくて此たかねをめてにくだりて、やはたのみやしろにぬさ奉れば、うなひめの袖に、すゞの実こき人て来るを、このとしもいたくなりしか、こはいかゞせん。
此竹の実の多くなるとしは、世のなりはひの、よからぬなどいふもうたてくて、
ひろまへの風になびきてなるすヾや豊年のくるしるしなるらし
この帰さ観世音にぬかづくほど、雨なんふりこんとて、いそぎ行く野路に、女郎花の、木の下に一二本咲たるあり。
講にかくうしろめたしとをみなへし草葉がくれの色や見すらん
二日 洞月上人の方丈のむろにとぶらへば、上人、こゝもまだうき世也けり。
此三とせのはどは、古見てふかた山里に、しるべばかりの草ふける庵に在て、月花のたよりもいとよかりければ、さながら心の月も、ひとりすみ渡るおもひしたるを、こゝらの人をみちびきて、青松山にすみねと人々のせちに聞えつれば、いなびがたく、ふたゝび世に出で此寺になどありければ、
洞の中によしかくるともあらはれん世に明らけき月の光は
夕ぐれちかう、ものの音いたくひゞきたりけるに、ふみよみたるもとゞめて人々かうがへ、又かんだち[なる神をいへり]かといへば、さなん空のけしきともなし。
近きとなりの板しきに、臼やひきてんとてやみぬ。
又とひ来る人のいはく、今の音聞しか又なりぬ。
こはさきつ日より、浅間が岳いたくやけあがる音なりと、今通づし旅人に聞しなどいへり。
三日 はし居の軒に、夕月の光ほのかにてれり。
書月の三日の月影見てしより葉月の望ぞよみまたれぬる
五日 ある人の、回文の歌よめといひしとき、
草花はさく野辺の生よしなの野の名しよぶのべのくさばなはさく
又神祇のこゝろを、
むべぞかやよゝのよみかき音にかに遠き神代の世々やかぞへむ