晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

地形と住宅開発

 私の住む「東葛飾」という千葉県北西部は、江戸川と利根川に挟まれた地域である。この辺を、車で走るようになって思ったのは、アップダウンが多いということだ。高台があってもそれほど続かず、低地になってまたすぐに高台になる。

私は、そういう地形を見たり、考えたりするのが好きだ。

それもあって、タモリさんの「ブラタモリ」を楽しみにしている。

タモリさんは、地形のみならず、地質などについても学者顔負けの博学である。

私は、かつて森だった高台や、川があったであろう低地や湿地を見て喜んでいるだけである。

この地域には、「谷」という字の使われた地名が多い。たとえば、名戸ケ谷、鷲野谷、藤ケ谷、鎌ケ谷、和名ケ谷など。

これは、今は、「や」というよみになっているが、本来は「やつ」「やと」だったと思われる。

「谷地」を調べて見ると、

 

〈やつ〉〈やと〉とも。関東,東北地方で低湿地のことをいう。台地,丘陵が浸食されてできた谷底の低湿地,砂丘間の低湿地など。      

                   百科事典マイペィデア

 

私が、東葛飾に住み始めた1976年、東京のベッドタウンとして大規模な住宅開発がひと段落したところだった。どこの団地も、日本全国から集まってきた人たちから成っていた。

日本住宅公団をはじめ、民間の建設会社が大規模に住宅開発を行っていた。その頃開発されていたのは、ほとんどが住宅向きの高台である。

私が、今住んでいる柏市光ヶ丘の地は、当時の日本住宅公団が、「郊外の広い土地に大規模な住宅を建設するという、新たな方針」に基づく最初の団地として建設したものだった。109棟全974戸で、1957年(昭和32年)に完成している。

私は、その団地に隣接する集合住宅に住んでいる。その頃の光ヶ丘団地は、西洋長屋的な庭つきの平屋建てと、庭付きの二階建てタウンハウス、そして、よくある外階段の三階建住宅からできていた。私は、西洋長屋が風情があって気に入っていた。

このあと、団地建設は次のようにつづく。

柏市では

豊四季台団地 1963年完成 3404戸 

大津ヶ丘団地 1977年完成 5240戸

松戸市では

常盤平団地 1962年完成 7605戸

小金原団地 1971年完成 7940戸

我孫子市では

湖北台団地 1971年完成 5378戸

しかし、私が移り住んだ頃には、大規模開発できる高台の土地が足りなくなったようだ。

当時私が住んでいた近くで、日本住宅公団が開発していた北柏ライフタウンは高台ではなく、低地のたぶん湿地帯だったところに開発中だった。私はそこを自転車で通勤してたが、まだ、住宅は建設していなかった。湿地の水抜き中だったと思う。その数年後、建設が始まった。

北柏ライフタウン 1980年完成 4990戸

同じ頃、勤務地に近い我孫子市でも大手民間会社が大規模な住宅開発をしていた。そこもやっぱり、低地の湿地帯だった。

そのような土地は、地盤が軟弱であり基礎工事も難しいと思われる。そのような土地に、かなり高層の建物を建設していた。

我孫子市の例では、後年、地盤沈下の問題が生じている。基礎工事で鉄筋をしっかり打ち込んであるので、建物は大丈夫だが周りの土地が沈下して、結果的に何十センチか建物が浮き上がったようになったのを、実際に見たことがある。

ここでは、日本住宅公団による大規模な住宅開発について書いたが、それ以外にも、大小の民間による住宅開発が行われていた。特に、低湿地の場合に充分な対応ができていたか心配である。

この東葛飾の土地は、江戸川と利根川そして手賀沼に囲まれている。過去は、どうだったかが大事だと思う。

東日本大地震の際に、液状化現象の生じた事例もある。今は、普通の土地に見えても 非常時には、いろいろな問題が生じかねない。

ここが、どのような土地なのかしっかりと把握しておかなければならない。

 

 

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