晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

天形星神社  流山市長崎

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天形星神社

先日、鎌ヶ谷市立図書館に行った時に「迅速測図地図」で見つけた不思議な名前の神社が気になっていた。

流山市に「天刑星神社」という神社があった。調べてみたら、今は「天形星神社」になっている。でも、正確に言うと地図では「天刑星」という表示だけで近くに鳥居マークがあった。このころの地図は、香取祠とか香取社のような表示が多く、神社という表示はほとんどない。

天刑星も天形星も、どちらも使われているようなので、当時は「天刑星神社」だったのだろう。地図作成に従事するような人が、字を間違えるとは思えない。しかもこの地図は陸軍作成である。

「天刑星」という言葉は、聞いたことがない。調べてみた。

天刑星は、道教木星を意味する。

この天刑星が、陰陽説で牛頭天王と同一視され、牛頭天王が素戔嗚と習合することから、素戔嗚を御祭神とするこの神社の社名になった。

ということなのだが、難しくてよくわからない。

自転車で行けそうなので、行ってみることにする。

 

自宅を出て麗沢大学の前を通り、向小金の住宅地を抜ける。

先日行った香取神社前で、旧水戸街道を横断する。さらに進んで、JR常磐線にかかる橋を越えると、国道6号である。

国道を渡ると、名都借の農村地帯である。前ヶ崎城址公園、富士見橋、野々下水辺公園、ここから横道に入る。

昔ながらの小道が、縦横に交差する感じで方向がわからなくなる。地図を持っていたのに現在地を失ってしまった。遭難状態20分。やっと鬱蒼とした森が見えて、目的地である。

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緑に囲まれた鳥居をくぐり、社殿に進むと、社殿改築の石碑があり、神社の由来も刻まれている。昭和63年に社殿が改築されている。

戦国時代に、この長崎、野々下の地に集落が形成されていた。そして、寛文2年(1662年)に創建された。

改築にあたって、境外にあった石見神社をこの境内に移して、跡地を譲渡し、資金としたことが述べられている。

石見神社の祭神の岩本大明神は、江戸時代房総三牧の野馬方総取締りの岩本石見守のことであり、この地に新田開発を認めたことにより岩本大明神として祀られたという。

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 災害防止、特に止雨、祈雨に昔から霊験があり、治水、開運の守護とされている。

「天形星」という名前の神社は、日本には他にないらしい。

 

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駒木の諏訪神社兼務社ということで、平成7年に新築された社務所無人だった。 

そのせいか、境内も清掃などの手が行きとどいてないようである。

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 境内の敷地は、充分な広さがある。しかし、本殿裏の本来なら神聖なる森があるべきスペースが、車両の出入口と駐車のための場所にされたのか、樹木がとても少なくなっている。

残念なことである。ここが、鬱蒼とした森だったら申し分ないのになあ。

 

 

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