晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

馬蹄の話

馬蹄形ということばがある。

だいたいが、馬のひづめの形。Uをひっくり返した形。みたいに説明している。

その形をしている具体的なものとしては、蹄鉄(ていてつ)というものになる。主に、馬のひづめを保護するために装着するU字型の保護具となっている。

今は、競馬関係者とか、競馬マニアみたいな人しか知らないかもしれない。

 

子供の頃の村の様子を考えていたら、蹄鉄を装着するための工場のようなものが村にあったことを思い出した。

私の村は、七つの集落から成っていて、小学校、中学校の学区になっていた。その真ん中の集落に、その蹄鉄装着場はあった。

天井の高い木造の平家建てで、土間のままだった。

馬が出入りしやすいように入り口は広くて、いつも開いていた。

今で言えば、大型車の車庫という感じだ。

役割としては、自動車修理工場なのかな。

 

小学校低学年くらいまでは、田んぼのしろかきは牛や馬を使ってやっていた。

馬車や牛車も使われていた。

それが、耕運機や小型トラックに代わっていった。

中学生くらいには、馬や牛をあまり見なくなった気がする。

きっと、日本中がそんな感じだったのだろう。

 

日本では、装蹄師というのが明治22年(1890年)に、国家資格になっている。考えてみると、農耕馬だけではなく、軍馬というものもあったので国家としても重要なものだった。

装蹄師の作業としては、蹄鉄の作成、馬蹄の削蹄、蹄鉄の打付けということになるらしい。

言ってみれば、オーダーメイドの靴職人みたいなもんだろうか。

馬のひづめに合わせて蹄鉄を作り、ひづめを削ってピッタリするようにして、釘で打ちつける。自分も、子どもの頃見たことがある。削ったひづめを焼いた鉄で焼いて消毒してた。

蹄鉄が使われるようになる前は、ワラジのような藁沓(わらぐつ)が使われていたそうだ。子どもの頃、これも見たことがある。

野生の馬はひづめが丈夫だが、家畜の馬はひづめが弱く摩耗してしまう。そのために、革製をはじめいろんな方法が考えられてきたらしい。家畜の餌は、野生の馬が食べている雑草や低木に含まれているベータカロチンが少ないことが、ひづめの弱さになっているようだ。

昭和45年(1970年)に、国家資格としての装蹄師は廃止された。

日本装蹄協会による民間資格としての認定装蹄師の制度が発足している。

競馬は、テレビなどでもよく取り上げられる。いろんな職種の人が関わってるので紹介されている。でも、装蹄師の方が取り上げられてるのは、見たことないような気がする。

 

私が、少年時代昭和30年代は日本の社会や生活が大きく変わった時代なんだな、と思う。

私よりひと世代下の人たちには、この記憶はないだろう。

 

 

 

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