鍋物の季節である。
スーパーにはいろいろな鍋物のスープと食材が並んでいる。
私は、秋田出身なので、「きりたんぽ」である。
今でこそ、どこのスーパーの売り場にも真空パックの「きりたんぽ」と「比内鶏スープ」があるが、かつてはどこにも売ってなかった。
どうしても食べたくて、母親ときりたんぽを作ったことがある。
つぶしたご飯を、菜箸に巻きつけて、ホットプレートで焼いてみた。
「きりたんぽ」は、秋田県北部の郷土料理である。あくまでも、家庭料理なので、お店では食べたことがない。
食材は、きりたんぽと鶏肉であるが、そのほかは家庭によって違うと思う。我が家は、牛蒡と芹だった。今は、たいてい舞茸などが入っているが、きりたんぽをつくる冬には、キノコ類は塩漬けくらいしかなかった。今は、キノコ類はいつでも手に入れられる。
芹を探して、スーパーをいくつも回ったことがある。芹がどうしても見つからなかったことがある。芹の入ってないきりたんぽは「きりたんぽ」ではなかった。
郷里の大館市では、きりたんぽをつくる会社がいくつもあるようだ。比内鶏の名前になっている「比内町」は、合併で大館市になっている。
当時は「きりたんぽ」で使う鶏肉は自家調達だった。その辺を走りまわっていたニワトリが使われた。だから、「きりたんぽ」は、めったに食べられないご馳走だった。
人がたくさん集まる機会に作られていた。杉の細い棒につぶしたごはんを巻きつけたものをいっぱいつくる。これが、たんぽだと思う。鍋に入れるために、たんぽを斜めに切る。それが、「きりたんぽ」。言ってみれば、焼きおにぎりみたいなものなので、鍋に入れてもくずれにくい。
杉の細い棒は片方が尖らしてあって、それを囲炉裏の灰に刺して炭火で焼いていた。
それは、おじさん達のしごとだった。
おじさん達が世間話をしながら、たんぽを刺し変えて向きを変えていた。
わたしは、それを隣に座って見ていた。
「きりたんぽ」は、手間と時間がかかる。手早くすぐに食べたい時は、「だまこもち」にする。きりたんぽのかわりに、つぶしたごはんを、だんごにして鍋に入れる。焼いてないので、くずれやすい。
できた「きりたんぽ」は大勢で、どんぶりで食べた。
一冬に、一回か二回くらいしか食べる機会はなかったと思う。
だから、今でも食べたいな、と思う。
それとは対照的に、お餅はあまり食べたいと思わない。
父親が出稼ぎで不在だったので、私が母親と餅を何臼かついた。
冬の間、お餅を食べていた。
言ってみれば、嫌になる程食べたので、今は苦手である。
「きりたんぽ」は、誰でも知っている料理になった。
どこでも売っているようになった。
50年前とは、ずいぶん変わった。