晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

人との出会い

4歳の孫娘と一緒に、東海方面へ旅行に行ってきた。

メンバーは、長男夫婦と長男のお嫁さんのご両親そして私たち夫婦である。

長男夫婦が、旅行を企画してくれた。

孫娘のお祝い事のたびに、一緒に食事などをしてきた。

そのときに、そのうちに一緒に旅行したいですね、と話していた。

こんなご時世なので、いろいろと大変だったと思うが、長男夫婦が骨を折ってくれて実現した。

孫娘を囲んで楽しい2泊3日の旅だった。

お嫁さんのご両親ともゆっくり話をすることができた。

お嫁さんのお父さんは東京、お母さんは広島出身の方である。

 

30年以上前に、同じようにまだ2歳くらいの長男を囲んで旅行していた。

妻のご両親と妻の二人の弟と私たち夫婦で旅行した。

妻のご両親は二人とも東京で生まれ育った方だった。

私の両親は参加できなかった。父が体調を崩して入院退院を繰り返していた。

旅行を提案したのは妻の弟だったと思う。

まだ赤ん坊だった長男を囲んでの楽しい旅だった。

その後、次男、三男が生まれたが毎年の行事になった。

でも、三男の誕生の頃、私の父と妻の父が相次いで亡くなった。

私の母も参加するようになり、妻の母親や弟達と出かけるようになった。

それは、子供達がかなり大きくなるまで続いた。

 

人は、いろんな人たちに囲まれて成長していく。

さらに、自然や文化など風土といわれるものの中で育っていく。

そして、人は生きていく中でいろいろな人に出会う。

それぞれに、違うところで違うものにかこまれて育ってきた人たちである。

そういうことを、最初に強く思ったのは妻と結婚した時である。

結婚することになり、妻の家族や親戚に会う機会があった。

妻は、東京で生まれ育ってきた。

私が知っている人たちとは、何か違っていた。

妻の父と妻の弟との会話も、まるで落語みたいだなと思った。

私は、秋田の自然豊かな中に生まれ育ってきた。

親子の関係も、秋田には秋田のものがある。父親や母親に対して、妻や妻の弟のようには振る舞えないと思うことがあった。

山や川が遊び場で、野山のものを食べていた。そういうことは、いろんなものの見方や行動に影響しているだろう。

それぞれに、違ったものにかこまれてきたのだ。

結婚式には、秋田の親戚たちが貸切バスで来てくれた。

新郎の挨拶で、私はこんなことを言った。

結婚は二人が出会うだけではなく、

お互いを育んでくれた人や風土と出会うことだと思う。

ほんとに、そんな気持ちでいた。

 

妻と出会う前からの、長い付き合いの山友達がいる。

新潟、山梨、東京、そして私が秋田。

それぞれが、全く違う環境で育ってきたもの同士で、山に登っていた。

お互いの実家を訪問し、泊まらせてもらったこともある。

大都市圏の周辺に住んでいれば、全国のいろんなところから来た人たちがいる。

そういう方と、知り合う機会も多いと思う。

私の最初の職場のメンバーも、北海道こそいなかったが、東北から九州まで揃っていた。

日本は、一つの国ではあるけれど、それぞれの都道府県で、いや同じ都道府県の中でも地域によって自然や文化など風土といわれるような違いがある。驚かされることがあったりする。当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなかったりする。

そういう人たちとの出会いは、面白いものだなあと思う。

 

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