廿四日 けふは、風の祭あるといふ。
「科野なる木曾路の桜咲にけりかぜのはふりにすきまあらすな」
となん俊頼のながめ給ふも、此こゝろにや。
須羽のみやつこに風ノ祝、雨ノ祝などありけり。
けふのかんわざは、五のたなつもの、ことなう、みのらんをむねとして、ところどころの村にて、としごとにせりける、ためし也けるといふ。
いつくさのほの上の露もこぼさじとけふやいのらん風の祝子
廿五日 けふは松本の辺にいかんとて、熊谷直堅とともにいでゆくに、とをき空には雨やふりなん、風はげしう吹て、野中の路にかゝれば今やふりこんと、とくとくと人遠近に行たり。
をちかたは村雨すらし風はやみ袖ふかれ行野路の旅人
松本のうまやに到て、くすし沢辺のやをとへど、たがひつればあはで、相しりたる忠雄の家をとはんとて、瀬畔といふ処をへて埴原村になりぬ。
いはゆる殖原牧これなり。
ゆくみちはそく、真葛おほひふたぎぬ。
葛かづら茂りにけりなはひはらの牧のあら駒かげ見えぬまで
かくて忠雄が宿をとへば、砌の柴垣のとより、さゝやかにおち来るを手枕の滝といひながして、又おかしきながめどもありけるを見つつ、
たのしさよちとせの友と手枕に松風誘ふ庭の滝なみ
あるじ、硯さしいだして題もとむ。
初秋月 直堅
はつ秋の風に晴行出の端に見るまほどなき月の入方
風前薄 秀雄
かぜふけばこぼれてそれとあらはるゝ尾花が袖の露の白玉
寄玉恋 恵雄
つれなさの人の心の秋風に袖はなみだの玉ぞみだるる
ともしびとりて、ふたゝび。
萩映水 秀推
咲萩のした行河の色ふかみ錦ながるゝ水のひとむら
尋虫声 直堅
ふみわけて尋ねぞわびぬ鈴虫の声は来し野の草に鳴なる
開中燈 忠雄
うき世をばよそにへだててすむかげの庵幽なる窓の灯
甘六日 つとめて、白姫といふ処あり。
むかしは村もありたりけるが、牛伏の川水いやまさりしとしながれうせて、今はかくなん河原となれりとか。
見し、にごれるながれのほとりに、
これも又にごればさすが水かはで引かへしけんうしぶしの河
百瀬村にふるづかのあり。
これなん世のしづかならざるころ、わが、いさおしをみせんと、きりたる頸の耳のみきりもてきて、こゝに埋しと人のかたる。
かくて、桔梗がはらに出たり。
白頭翁〔それがとし八十に越たり〕がすむ江原の里は、あの森のなかなりとうちむかふ。
きのふ、がれがいほりを尋ねて、われ。
間見れば桔梗が原の露白し
とて、とより入しかば、五尺庵のあるじ白頭翁露白。
あるかなきかの身に月のかげ
となん和句せり。
葉月朔 ちかとなりの直堅がやにいきて、なにくれかたらふに、鱸魚の鉤に釣りたる画のありけるに此やのぬし、
「行河の水のまにまにながしつる糸にかかれるいををこそまて」
とながめて、われにもと、ひたにいへば、
水にちをまかせてときを松の江にすむてふ魚のかゝる楽しさ
七日 今井の郷にいたる。
この里は、今井四郎兼平こゝに生れてける、
其ところにほくら建て、かねひら朝神とあがめ奉る。
このかん司梶原景富のぬしに、はじめてまみえたりけるに、
波のもくず寄るもはづかしみがきえし玉ある磯のわかの友鶴
かくてこのぬしの家に、やまとふみ、がんよのまきをよめるを聞て、此くにゝ、いくばくの月日をへなん。
十三日 姨捨山の月見に、おもふどち、いざなひ行てんとてたびたちぬ。
此日記は《わかこゝろ》と名づけて、外にひとまきとしたり。
甘一日 恒徳のやにあそびて物かたらふに、軒のまつかぜ吹すさび、つくれる庭のやまぎはに、こゝら鳴むしの声も、いとしめやがなる夕なりけり。
おもふどちあかぬまどゐに淋しさの秋も楽しとむかふタぐれ
なが月三日 今井の郷に、斐佗の国なる梶原家熊〔梶原景富の父なり〕のうし、とをたあふみのかみになり従五位下たうばりて、都より帰給ひ、其国の一宮につかへまつり給ふが、こたび、ふる里の父のみたまに、ぬさとりむけんとて来給ふに贈る。
つかへます神の恵に位山のぼりえし身の今はやすけん
九日 常陸の国宗淳が、みやこに行とて、この国にしばしありける。けふなん別るとて、
又いつと契しおけどしら菊のあかぬいろ香にたちへだてなん
かんな月八日 家熊のうし、飛太の園に帰り給ふける。
その奈波に歌作りておくる。
きのふけふ 峰の紅葉の いろそへて
錦の袖の たびごろも たちへだてなん
おもひこそ 猶いかばかり つらからめ
あしたにきゝし みちしばの 露のよすがも
かれがれに 柳の枝を 折わかね
春は栄えん いろや見ん 契しことを
たのみにて 秋の山田の それならで
ひだてふ国に 在といふ 位のやまの
くらからぬ 光をそへて すみのぼる
月の行衛も しら雲の 八重にかさなる
やまやまを 越路の雪を 右に見て
行らん方を たぐえやる こゝろにつらく
かきくれて 今朝は別の 袖ぞしぐるる
わかれては山田のびたのひたすらにかけてたのまん音信もがな