晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

天の川は見えるか

外出して帰りに暗くなっていて、夜空を見ることがある。星が見えにくいとは言ってもそれなりには見える。

月の満ち欠けを見て、もうすぐ満月だ、とかだいぶ欠けてきて下弦の月だな、と思うこともある。

天の川の話を、妻と話してたら、「天の川を見たことがない。」というので驚いたことがある。

そうか、明るいところでは星は見えにくいし、天の川は見えないのだ。

まったく見えないわけではないが、この辺で見える星は、子供の頃に見ていた星の何十分の一、いや何百分の一かな?
何たって、天の川は無数の星の集団だから、あれだけでものすごい数の星である。

天の川って、たしか銀河系の一部である地球から、銀河系を横から見てる感じだったな。

銀河とかMilky Way とか、ほんとにぴったりの名前だなあ。

でも、現在でも私の田舎で天の川がみえるのかなあ?

ちょっと、心配だな。
日本全国、明るくなってるらしいから。

 

私が、最後に天の川を見たのはいつだろう。

18歳まで秋田にいたのだから、その頃見ているとは思うのだが、はっきりと見ていたことを覚えているのは、小学生の時である。

小学生の時、村の子ども会の活動で「火の用心」の夜回りをやっていた。ずっと伝統的にやってたみたいで、いつからやってたのかわからない。

5、6人のグループで、夕方暗くなってから、夜警団みたいなことをやっていた。

鐘を鳴らして、「火の用心願います。」と、大きな声で叫ぶ。

もう暗くなっている時間だった。何時くらいだったのだろう。

夜空には、天の川があった。

村をひとまわりするのに、1時間はかからないにしても、子供の足なので結構かかったと思う。

その間じゅう、夜空を見ながら歩いていた。

夜空には、太い白い帯が横断、縦断していた。

天の川、銀河、Milky Way とはよくいったものである。

それが一つ一つの星の集まりとは思えない、白いもやっとしたものである。

 

五年生くらいの時に、星座観察?のために、学校の宿直室に男子児童が泊まったことがある。

10人くらいいたような気がする。その時、夜空を見てると思うがはっきりとは覚えていない。

担任の先生が理科専攻の先生だったので、青空教室とか言って校外で授業したりしてた。

たしか、新潟地震は、外へ出てた時に起こった。

今なら、ひんしゅくものかも知れない。

 

20代の頃、冬山登山で八ヶ岳に登り、夜に友人たちと山小屋から、凍りそうに寒い外に出て夜空を見た記憶もある。

でも、天の川を意識しては見てなかった。

 

今は、どの辺まで行ったら綺麗な天の川が見れるのだろうか。

いくら、山へ登っても日本全体が明るくなってしまっているので、見え方が違ってしまってるんだろうな。

関東近辺でも、場所によっては星空がよく見える所はありそうだから、それを旅行の目的にできるかも知れない。

旅行の宿泊先の条件に、これを加えるのは充分に意味があると思う。

そこは、綺麗な天の川が見えるか。

 

 

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