晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

本土寺  松戸市平賀

我が家から、3番目に近いお城であろうと思われる小金城址を目指して歩き始めた。

小金城址は、 JR北小金駅北口方面に「大谷口歴史公園」として保存されている。そこで、JR北小金駅に向かう。

今日は、小金原団地経由で、国道6号線を越えることにする。

光ヶ丘の台地を降ると、上富士川を越える。上富士川は、北方の根木内城址方向に流れている。小金原の台地を登って進む。登り切ったところで、右手根木内城址方向に曲がる。

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 正面に、根木内城址公園が見える。

水戸街道に合流して、国道6号線を渡り、JR北小金駅に向かう。

八坂神社跡地の石碑で、右に曲がるとJR北小金駅である。

駅を通り抜けると、北口である。ここから、本土寺の参道である。

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小金城址の「大谷口歴史公園」は、左手方向になる。

ここで、目的地を変更することにする。

小金城址の前に、本土寺に寄ることにする。

私は、20代から結婚するまで、この北小金に住んでいた。本土寺まで、歩いて4、5分だった。

参道に向かって歩き出したところで、驚いてしまった。

帰宅途中によく寄っていた居酒屋があったのだ。しばらく通っていたのだが、線路の向こうにお店が移り、私もその後転居した。いつのまにかその店は、なくなっていた。

その居酒屋が、戻っていた。場所は、以前の斜め向かいである。

焼き鳥が、うまかった。カレイの唐揚げが、私のお気に入りだった。

まだ、暖簾は出ていなかった。よし、近いうちに来よう。

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いつ、ここに戻ってきたのかな。

駅と参道入り口の間は、最近ほとんど歩いてなかったので、気がつかなかった。

 

その頃の、本土寺は一応、「北のあじさい寺」とは言われていたが、知る人ぞ知るという程度で、観光客なんかは見なかった。駅付近は賑やかだったが、参道にはお店といえる店もほとんどなかった。

今は、少し門前といえる感じにお店が増えていた。

ちょっと気になる蕎麦屋さんもあった。おじさんが、店先でそばを打っていた。

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参道は、けっこう長い。300メートルくらいかな。

本土寺は、あじさいの頃はとても賑わう。でも、紅葉も綺麗だし、桜も見事である。

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山門に近づくと、紅葉が目に入ってきた。

紅葉のことはまったく考えてなかったので、予想外だった。

久しぶりなので、ご挨拶ということで参拝しようと思って来たのだ。

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予定変更してよかった。

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紅葉が、青空に映えてすばらしい。

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五重塔は、昔はなかった。

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いつもは、花を楽しむだけで、参拝は省略することがあるが、今日はお参りしました。

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境内を、ぐるっとまわってみました。

平日にもかかわらず、参拝者がちらほらと歩いています。

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本土寺は、小金城とも関係の深い寺である。
また、「本土寺過去帳」は、歴史研究における重要な研究史料となっている。

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本土寺の紅葉をじゅうぶんに楽しんだところで、次に、小金城址に向かう。

小金城については、次の記事に載せようと思う。