晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

フリーな生活

60歳で定年のあと、1年間再雇用で勤務して退職した。

長年の念願だったフリーな生活になった。

それから早いもので、6年目である。

 

その間に、いろいろなことがあった。

初めて家族で、海外旅行に行った。

初孫が生まれて、おじいさんになった。

親子4代で、秋田の母の姉さんに会うために旅行に行った。

母が入院して、一年後に亡くなった。

妻の母が入院したが、コロナ禍のため面会できなくなった。

 

妻の母が入院している病院は、自宅から歩いて2、3分のところなので、毎日会いに行っていた。2月から面会謝絶となり、会うことができなくなった。

誕生日なので顔を見たい、とお願いしたが、立ち入りはできないのでと、断られた。

病院の事情はよくわかるので、納得するしかない。

 

私の日々の生活については、このブログでいろいろ書いてきた。

サイクリングやランニングそして散歩。

寺社仏閣、城址城郭、図書館めぐり。

その時の気分と天気で、出かけることが多い。

妻は、週何日かは仕事や友人と出かけることがある。

妻は、私よりも忙しい人である。

私が一人留守番という日が、私の出かける日になる。

 

二人の息子と妻と四人家族なので、食事の献立が私の重要な問題である。

遠い店への買い出しは妻と行くが、日々のコマコマした買い物は私がやる。

料理は好きな方なので、楽しんでやっている。

結婚して、妻が揚げ物は苦手だというので、揚げ物は私が担当してきた。

おかげで、だいぶ上達したと思う。

天ぷらやフライや唐揚げは、中華鍋でやる。

結婚してすぐに買った両手の中華鍋は、30年以上愛用している。

年季が入っていて、一生ものだと思う。

中華鍋は、揚げ物にはとても使いやすい。炒め物にも最適だ。

 

もしかすると、私は調理師になっていたかもしれない。

もしもの話をしても、しょうがないが。

私は、就職が決まって千葉にやってきた。

千葉への採用通知は、卒業式の直前に届いた。卒業式からそのまま卒業証書のコピーを提出に行った記憶がある。

その時期に採用通知ということは、誰かが採用辞退したのだろう。

私は、その時期で就職先が決まっていなかった。

1年間アルバイトをやって、また採用試験を受けるつもりでいた。

そして、何を考えたのか、私は調理師学校へ入学しようとしていた。アルバイトしながら通うつもりでいた。

たしかに、食堂でアルバイトしたことはあった。

でも、今考えると4年間何を勉強してたんだ、ってことである。

自分がやってることは、時々そんなことがある。何を、考えていたのだろう。

 

話は変わるが、私の父は、炭焼きをやっていた時期がある。

姉と二人で、父の炭焼き小屋を訪ねたことがある。

ずいぶんと山道を歩いて、着いた炭焼き小屋で父は寝泊まりして仕事していた。

炭焼きは、木炭を作ることである。

木炭は、樹木を不完全燃焼させることで作ることができる。

炭焼き窯に、樹木を詰めて不完全燃焼させる。煙は出るが、炎が出ないように夜もつきっきりで面倒を見る。燃えてしまったら、灰になってしまう。

父は、そこで何日も、自分で自炊して寝泊まりしていた。

その後、父は何年も出稼ぎ生活をやっていた。やっぱり、自炊をしていた。

だから、父はなんでも自分でやる人だった。

 

世の中には、男子厨房に入らず、みたいな人もいる。

私は、そういうところでは育たなかった、ということだ。

 

 

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