晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

プラモデルを作っていた頃

孫娘が、プレゼントでもらったラジコンカーで遊んでいた。

車体は、チョロQを何倍かにしたような感じなのだが、機能は今どきのものなのでなかなかすごい。

まず、スピードが速い、その場で回転できる。

バッテリーは、USB充電で、25分間動く。

障害物回避モードは、ルンバのように何かにぶつかりそうになると方向を変える。

パストラックモードは、黒いペンで描いたコースをたどって走る。特別なコースはいらない。

フォローモードは、色付きのものを追いかける。白いビニールボールが付属でついていたが、薄い色なら他の色のものでもいいようだ。

制御距離20メートルとなってるので、大人でも楽しめそうだ。

 

考えてみたら、私の子ども時代、50年、60年前にも似たようなものはあった。

もっとアナログだったけど。

私の小学生時代は、昭和だと30年代後半、西暦だと1960年代前半くらいだ。

言ってみれば、有線リモコンかな。無線もあったが高価で子どものおもちゃではなかった。

レーシングカーというのが、あったな。

8の字の2台用のレースコースがあって、コースに付属したコントローラで操作する。

電源は、コースに沿って配線されたレールから取る。

街のデパートへ行くと、大きなコースで走らせることができる。

探せば、今でもコースはあるんじゃないかな。

テレビで、見たような気がする。

 

飛行機だと、Uコンというのがあった。

飛行機の翼にワイヤーがついていて、Uの字型のコントローラにつながっている。

飛行機のプロペラが回転するので、コントローラを振り回して飛行機を飛ばす。

なんとも、アナログな世界である。

 

とはいうものの、このようなものは私にとってはあこがれだった。

実際に、遊んだことはない。

いなかの子どものおもちゃとしては高価すぎた。

テレビのコマーシャルや少年サンディーの広告で見ていた。

身近にも、持ってるやつはいなかった。

 

私が、やっていたのはプラモデルを作ることだった。

その頃の男の子に人気だったのは、戦闘機や戦艦だった。

戦闘機だったら、ゼロ戦や隼、疾風、紫電改、飛燕。

グラマンとかメッサーシュミット、という名前も覚えている。

戦艦だったら、誰でも知ってる大和や武蔵。

デパート主催のプラモデルのコンテストかなんかで入選して、賞品にプラモデルをもらった記憶がある。

 

以前にもこのブログに書いたけど、この頃の時代って不思議だと思う。

終戦後十数年しか経っていなかったのに、少年漫画雑誌は、戦争漫画がいっぱいだった。

しかも、舞台は太平洋戦争である。

子どもだった私は、ただ面白くて読んでいたけど、出版社や漫画家たちはどうだったんだろう。世の中は、これをどういうふうに見ていたのだろう。

ちばてつやさんや、そうそうたる漫画家たちがそういう作品を描いていた。

この時代は、いったいなんだったのか知りたいなと、ずっと思っていた。

でも、そういう文章に出会ったことがない。

そういうことを言っているのを聞いたこともない。

 

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