小学生時代の私が、ディズニーのテレビ番組が好きだったということは、以前このブログで書いた。
その頃は、アメリカ製のテレビ番組を、日本語に吹き替えて放送していた時代だった。
その中の一つが、口髭のウォルト・ディズニーおじさんが登場する「ディズニーランド」という番組だった。
上品なウォルト・ディズニーおじさんが、紹介する映画を楽しみにしていた。
その番組の中で、カリフォルニアのディズニーランドを紹介していたような記憶がある。1955年に、オープンしていたそうだ。
それから、二十数年後の1983年に、東京ディズニーランドが開園している。
柏市の旧沼南町は、手賀沼の南岸にあって、旧町庁舎に「子ども図書館」があり、その2階に「郷土資料展示室」というのがある。
そこを見ていたら、手賀沼がディズニーランドの候補地のひとつだったという、資料が展示してあった。
結局、浦安に決定している。浦安に、友人が住んでいたことがあって、埋立地に連れて行ってもらったことがある。
ディズニーランドができる何年も前である。なんにもない、ただの埋立地だった。
千葉県は、東京湾の埋立地に積極的に大企業を誘致していたので、かなり有利な条件だったのだろうと思う。
我が家の長男が2、3歳の頃、東京ディズニーランドは創立五周年だった。
テレビでは、その紹介番組をよくやっていた。
その番組を、ビデオに録画してあげたら、長男はそれがお気に入りで、繰り返し繰り返し見ていた。
たしか、石田ひかりさんと、あと2人の女の子が出演していた。
妻と、これはディズニーランドに連れていかなきゃならないね、と話していた。
妻は、田舎育ちの私と違って、ディズニー映画で育っている。
いざ、ディズニーランドに行こうとすると、大変だった。
千代田線で、南柏から新松戸へ、新松戸で武蔵野線に乗り換えて、浦安駅で下車する。
まだ、舞浜駅はなかったので、浦安駅からディズニーランド行きのバスに乗らなければならない。
そのバスに乗るために、長い行列がある状態で、ずいぶん時間がかかって乗れた。
行くだけでも大変だったが、帰りも大変だった。
混雑した電車で、眠ってしまった長男を抱っこしていることになる。
何回か、そういうことをして、車で行くしかないか、ということになった。
それまでは、車で行こうという発想が浮かんでなかった。
車は車で、ディズニーランド周辺は渋滞がすごかった。でも、子どもは車だったら、なにか遊んでいられる。
子どもが小さいうちは、午後3時には帰途についていた。
ディズニーランドに着いたら、まず「スモールワールド」に行く。
子どもは、やっぱり「スモールワールド」が大好きだ。目をキラキラして見ていた。
そして、帰る前にもう一度、「スモールワールド」に行く。
子どもたちが、大きくなってだんだんと帰る時間が遅くなった。
そんなに、頻繁に行ってたわけではないが、最近は遠ざかっていた。
一昨年くらいに、孫娘を囲んで行ったのが久しぶりである。
まだ小さかったので、スモールワールドでは待っているうちに眠ってしまい、ボートに乗った時は、文字どおり夢の国だった。