晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

ひとり旅

旅をするようになった頃、友人を持たなかった私はひとり旅をしていた。

夏の長期のアルバイトの後に、4、5日か1週間くらいの旅行をしていた。

初めての旅行は、能登半島だった。なぜ能登半島だったのか、思い出せない。

たぶん、たいした理由はないだろう。

ただ、旅行したかっただけだと思う。

次の年は、北海道に行った。

夜行列車で青森へ行って、そこから青函連絡船で函館へ、そこで観光バスに乗った。

その日は、大沼公園ユースホステルに泊まった。

翌日は、年がずいいぶん離れたいとこが札幌にいて、泊めてもらった。

 

翌年は、少し旅行にも慣れてきたので長期で行くことにした。

広島と長崎の原爆資料館に行くことを目的にした。

学生たるものは見ておくべきだと、考えたのだと思う。

確かに、行って良かったと思った。

広島のユースホステルは、広島市街から離れた山の上にあって、夜になったら広島市民球場の歓声が響いてきたのを覚えている。

そのあと、福岡、佐賀とユースホステルに泊まり、伊万里焼の窯元を見学した。

コースはよく覚えてないが、平戸にも行ってる。

そして、長崎の原爆資料館を見た。そして、キリシタンの殉教に関する何かを見たと思う。

 

今になって、考えてみるととんでもなく、無謀な計画を立てている。

次に、阿蘇山ユースに泊まって、阿蘇山に登った。

ロープウェイで火口付近までは行けたが、噴煙が激しく火口めぐりはできなかった。

翌日は、鹿児島から連絡船で桜島に渡って、桜島ユースに泊まった。

桜島は、とんでもない所だと思った。

ユースホステルのまわりは、巨大な岩がゴロゴロしていて、噴火に対する避難用シェルターがいくつかあった。

そして、次はやはり海辺にある日南海岸ユースだった。

どんなところだったかなと思ってネット検索したら、猪崎鼻という眺めのいい岬にあったようだ。1999年に閉鎖されたらしい。

県営だったのを、 日南市に譲渡し改装し再生したがうまくいかず、今は民間の飲食店になっているようだ。

九州最後の宿泊は、大分県の日田のユースホステルを予約していたのだが、さすがに強行日程の疲れが出て、日田はキャンセルして帰途に着いた。

 

帰途といっても、そのあと郷里の秋田へ行って、田代岳に登る計画があった。

夜行列車に乗って、翌朝京都に着いた。

私は、高校時代、京都奈良への修学旅行は訳あって参加していなかった。今日は、観光バスに乗って、京都見物して、また夜行列車で秋田へ行こうと考えた。

結局、観光バスでは半分くらい寝ていたと思う。

それでも、秋田まで帰って目的の田代岳は登ってきた。

 

就職して、山登りの友人ができた。

だいたい季節ごとに、4人で何泊かの山行をして、最後は温泉に泊まるパターンだった。

4人でのメンバーのうち2人で、山行に出かけることもあった。

2人だと、計画も簡単に決まる。「今週どこそこ行こうか。」という感じである。

メンバーの組み合わせも、そのときどきで違う。

山へ行くようになってからは、旅行のための旅行は行かなくなった。

それでも、、やっぱりひとりで山へ行きたくなることがある。

そのころ、私は両親と住んでいた。

山にひとりで行くと言うと心配するので、友人の誰かと行くということにしていた。

友人たちと山へ行くのは、楽しい。

でも、ひとりで行く山は、時間の流れ方が違う気がする。

車窓から、景色を眺めたり、ひとりで頂上を目指して登る。

避難小屋に、ひとりで泊まる。他に登山者がいることもあるし、全くいないこともある。

全くひとりで、夜明かしするのは心細いし、こわいものである。

他に全くテントがないキャンプ場で、テントを張ったことがある。こわかったな。

時間が、体にしみこんでくるような気がする。

 

結婚して、家族ができたら、なんでも家族と一緒になる。

ひとり旅は、なくなる。

しいて言ったら、サイクリングやランニングは、ひとり旅みたいなものかな。

ひとりで、いろんなことを考えたりする。

ひとりだけで、音楽を聴く。

ひとりだけで、走る。

 

 

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