旅をするようになった頃、友人を持たなかった私はひとり旅をしていた。
夏の長期のアルバイトの後に、4、5日か1週間くらいの旅行をしていた。
初めての旅行は、能登半島だった。なぜ能登半島だったのか、思い出せない。
たぶん、たいした理由はないだろう。
ただ、旅行したかっただけだと思う。
次の年は、北海道に行った。
夜行列車で青森へ行って、そこから青函連絡船で函館へ、そこで観光バスに乗った。
翌日は、年がずいいぶん離れたいとこが札幌にいて、泊めてもらった。
翌年は、少し旅行にも慣れてきたので長期で行くことにした。
広島と長崎の原爆資料館に行くことを目的にした。
学生たるものは見ておくべきだと、考えたのだと思う。
確かに、行って良かったと思った。
広島のユースホステルは、広島市街から離れた山の上にあって、夜になったら広島市民球場の歓声が響いてきたのを覚えている。
そのあと、福岡、佐賀とユースホステルに泊まり、伊万里焼の窯元を見学した。
コースはよく覚えてないが、平戸にも行ってる。
そして、長崎の原爆資料館を見た。そして、キリシタンの殉教に関する何かを見たと思う。
今になって、考えてみるととんでもなく、無謀な計画を立てている。
ロープウェイで火口付近までは行けたが、噴煙が激しく火口めぐりはできなかった。
翌日は、鹿児島から連絡船で桜島に渡って、桜島ユースに泊まった。
桜島は、とんでもない所だと思った。
ユースホステルのまわりは、巨大な岩がゴロゴロしていて、噴火に対する避難用シェルターがいくつかあった。
そして、次はやはり海辺にある日南海岸ユースだった。
どんなところだったかなと思ってネット検索したら、猪崎鼻という眺めのいい岬にあったようだ。1999年に閉鎖されたらしい。
県営だったのを、 日南市に譲渡し改装し再生したがうまくいかず、今は民間の飲食店になっているようだ。
九州最後の宿泊は、大分県の日田のユースホステルを予約していたのだが、さすがに強行日程の疲れが出て、日田はキャンセルして帰途に着いた。
帰途といっても、そのあと郷里の秋田へ行って、田代岳に登る計画があった。
夜行列車に乗って、翌朝京都に着いた。
私は、高校時代、京都奈良への修学旅行は訳あって参加していなかった。今日は、観光バスに乗って、京都見物して、また夜行列車で秋田へ行こうと考えた。
結局、観光バスでは半分くらい寝ていたと思う。
それでも、秋田まで帰って目的の田代岳は登ってきた。
就職して、山登りの友人ができた。
だいたい季節ごとに、4人で何泊かの山行をして、最後は温泉に泊まるパターンだった。
4人でのメンバーのうち2人で、山行に出かけることもあった。
2人だと、計画も簡単に決まる。「今週どこそこ行こうか。」という感じである。
メンバーの組み合わせも、そのときどきで違う。
山へ行くようになってからは、旅行のための旅行は行かなくなった。
それでも、、やっぱりひとりで山へ行きたくなることがある。
そのころ、私は両親と住んでいた。
山にひとりで行くと言うと心配するので、友人の誰かと行くということにしていた。
友人たちと山へ行くのは、楽しい。
でも、ひとりで行く山は、時間の流れ方が違う気がする。
車窓から、景色を眺めたり、ひとりで頂上を目指して登る。
避難小屋に、ひとりで泊まる。他に登山者がいることもあるし、全くいないこともある。
全くひとりで、夜明かしするのは心細いし、こわいものである。
他に全くテントがないキャンプ場で、テントを張ったことがある。こわかったな。
時間が、体にしみこんでくるような気がする。
結婚して、家族ができたら、なんでも家族と一緒になる。
ひとり旅は、なくなる。
しいて言ったら、サイクリングやランニングは、ひとり旅みたいなものかな。
ひとりで、いろんなことを考えたりする。
ひとりだけで、音楽を聴く。
ひとりだけで、走る。