「スモーキン・ブギ」を、ダウンタウン・ブギウギ・バンドがやっていたのは、私が学生の頃だ。
キャロルは、黒の革ジャンだったが、ダウンタウンは、修理工場のお兄ちゃんみたいな、白のツナギだった。
その頃、俺も、白のツナギを着てた。
トヨタ自動車の完成車検査工場で、アルバイトをやってた時だ。
毎朝、新しいつなぎをもらって、帰りにはクリーニングのボックスに入れて帰る。
今は、たばこを吸う人にとっては、住みにくい時代だろう。
私は、吸わない人なので、かなり他人事である。
でも、考えてみれば、かつてはくわえタバコをしながら、仕事してる人もいた。
それが、職場で吸えなくなり、席を外して工夫してなんとか吸っていた。
高校生の頃、新聞部の部室に入ると、なぜか煙が充満してることがあった。
そんな環境だったが、私自身はたばこを吸わなかった。
小学校高学年の頃、友だちとふざけてたばこを吸ってみたことがある。
だから、たばこはこんなものだというのはわかっていた。
たぶん、そのせいだと思うが、たばこを吸ってみようと思わなかった。
我が家が、葉たばこ栽培農家だったことを思い出した。
我が家は、田んぼを二ヶ所、畑を二ヶ所持っていた。
葉たばこは、「開墾」という名の畑でつくっていた。
「開墾」は、名前のとおり村が共同で開墾した畑だったと思う。きれいに四角形に区切った畑が山のなだらかな斜面に整然と並んでいた。
葉たばこの栽培は、小学校高学年くらいから中学生まで手伝っていた。
葉たばこは、ほとんど手作りのように育てて、収穫して、乾燥させて、出荷していた。
日本で、栽培されている葉タバコは、3種類あるようだが我が家が栽培していたのは、「バーレー種」だった。
家の裏の畑の温室のようなところで、種を蒔いて芽が出たら植えかえる。
苗がある程度大きくなったら、家からずいぶん離れた山の斜面にある「開墾」の畑に植える。
苗は、小さい頃は霜に弱いので、霜除けの紙をかぶせるために、暗くなってから山の畑へ行った記憶がある。
葉たばこは、トウモロコシよりも大きいくらいに成長して、大きな葉をいっぱいつける。
まだ、暑い頃に黄色くなった葉っぱを収穫する。
葉っぱを縄に挟んで、縄を張って乾燥させる。
葉っぱの水分がなくなって、茶色になったら、縄からはずす。
シワシワの葉を、きれいに平らに伸ばして束ねる。
箱詰めして、出荷する。
検査によって、等級がつけられて、代金が支払われる。
その頃は、専売公社の独占事業だったが、その後専売公社は民営化され日本たばこ産業株式会社となった。
民営化にはなったが、日本政府が株式の三分の一を保有することを義務付けられているらしい。世界で、4番目8.4%のシェアがあるらしい。
久しぶりに、葉たばこのことを考えて、思い出した。
我が家は、大きな農家ではないので作業用の小屋などがなかった。
葉たばこの、乾燥は居住している家の中でやっていた。家中が、葉たばこだらけだった。
たぶん秋から冬くらいまで、家中がたばこのにおいだった。
もしかすると、私がたばこを吸わないのはそのせいもあるかな。
嫌というほど、においを嗅いでいたので。