晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

富士山と筑波山

先日、江戸川に行った時、あわよくば富士山が見えないかなと、思って行ったけど、案の定見えなかった。

ずっと以前にきれいな富士山を見たのは、思いがけなく見えたんだった。

サイクリングに出かけて、野田市吉川市にかかる玉葉橋を渡った時に、富士山がきれいに見えることに気がついた。

たまたま居合わせたランニングの方と、二人で見とれていた。

富士山が見えるなんて、思ってもいなかった。

河川の土手は、風景だけでなく山を見るにはいい場所かもしれない。

 

私の住んでいる東葛飾のあたりは、空や空気の状態さえ良ければ富士山が見えるようだ。

今は、高層の建物が多いのでなかなか展望の邪魔が多い。

車で走ってて、「富士見」と名前のつく地名などを見かける。

柏市では、富勢のあたりに「富士見坂」があった。

近いところでは、流山の運転免許センターの近くに「富士見橋」がある。

江戸川台駅周辺に、「富士見台」という町名があったと思う。

我孫子市の天王台のあたりにも「富士見橋」があった。

どれも、そんなに古い名前ではなさそうだ。

きっと、昔はどこからでも見えたんだと思うので、富士見とつける必要がなかったかもしれない。

 

母が入院していた松戸の常盤平の病院からは、東京スカイツリーがよく見えた。

ほんとに、とても近く見えた。

天気さえ良ければ、スカイツリーの向こうに富士山も見えるのだろう。

母は、その後自宅近くの病院に転院したのだが、そこからもスカイツリーはよく見えた。

その病院の最上階はレストランになっていて展望がいい。

病院自体は、URの高層団地の中にあるが、病院は眺めのいいところにある。

残念なことに、私の住む団地はURの団地が邪魔で展望が悪い。

富士山が、見えそうな時は、レストランに行ってみるのもいいかもしれない。

 

筑波山は、もっと近いので展望のいいところならだいたい見える。

もちろん、利根川の土手だったら間違いなく見える。

常磐高速道路で、茨城県方面から利根川を柏方面に渡る時に、夕焼けの中に富士山が見えたことが何回かある。

ということは、条件さえ良ければ、あの辺では、富士山と筑波山が両方見られるということだ。

いいところだなあ。

 

江戸時代の浮世絵には、江戸の町の風景の後ろに、富士山が描かれているのがよくある。

江戸の人たちにとっては、富士山はとっても身近だったんだろうな。

安永の大噴火が、1707年で江戸の町にも火山灰が降ったそうだ。それから、300年以上経っている。毎日見ていた富士山が火を噴いたのだから大変なことだったんだろう。

子どもの頃、「休火山」とか「死火山」とか、習ったけど、今は「死火山」というのはない、と聞いた。

全部「休火山」だから、いつ復活するかわからない。

 

小学校から高校まで、校歌にはだいたい山と川が出てくる。

私の場合だと、田代岳と岩瀬川。

森吉山と長木川。

東葛飾のこのあたりだったら、筑波山利根川だろうな。

筑波山手賀沼もあるのかな。

東京に近い所だったら、富士山と江戸川かな。

筑波山と江戸川もありそうかな。

 

 

 

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