今日はひとりで留守番、特に出かける用事もなく、しかも天気がいい。
ということで、サイクリングに出かけることにした。
思いついたのが、いつも素通りする柴又帝釈天にお参りしよう、ということ。
いつものように、江戸川流山橋に向かう。
しばらく、運動してないので体が重い。
1時間近くかかって、流山橋を渡り、三郷側の土手に着く。
川向こうには、流山の街並みが見える。
東京都葛飾区柴又を目指して出発。海から27kmの看板がある。
しばらく走っていて、あれっと思う。
右手に、富士山らしきものが見える。今日は、かなり遠くが霞んでいるが、中腹まで冠雪で真っ白な富士山である。
肉眼だとそれなりに見えるのだが、カメラだとどうだろうか。
大きな建物と建物の間なのだが、微妙である。
なんと人間の目は性能が良いことだろう。
しばらく走って、柴又公園に到着。
川向こうは、松戸市の矢切の渡しである。渡し舟が、何艘か見える。
先日、テレビで、柴又の川甚が閉店するというニュースをやっていた。
川甚は、私も来たことがある。結婚したばかりの頃、松戸の八柱の近くの牧の原団地に住んでいた。そこから、二人でママチャリで帝釈天まで来て、川甚で鰻を食べた。
よくまあ、こんな遠くまで来たものである。
川甚は、江戸時代の寛政年間からの老舗の川魚料理の店である。個室の和室で静かに食べた記憶がある。
せっかくなので、店先をのぞいてきた。
帝釈天にお詣りしたが、閑散としていた。
寅さんの顔も見てこようと、参道の商店街を柴又駅に歩く。
チラホラ、人は歩いているが、休業の張り紙の店もあった。
土手まで戻り、さらに南下する。
今度は、江戸川を北にさかのぼって行く。
すぐに、江戸時代の関所跡がある。江戸時代の初期に、江戸川が下総国と武蔵国の境になった。
さらに、進んでいくがこのあたりは、国府台という地名である。
国府台という名前が示すように、律令制の時代に下総国の国府がこのあたりにあった。
その隣の地名は、国分で国分寺から来ていて、下総国分寺は今も存在する。
その頃は、江戸川ではなく、太日川(ふといがわ)と呼ばれていて、もっと川幅も狭いものだったろう。川向こうの、江戸川区や葛飾区も下総国だった。
このあたりで、川向こうを見たら、スカイツリーと富士山が並んで見えた。
かなり霞んでいたけど、写真を撮ってみた。見えないか?
江戸川を上流にさかのぼって行く。登り勾配自体は、たいしたことはないと思うが、やや向かい風で、疲れが倍化する。
松戸市に入りると、「川の一里塚」と名付けられた休憩所がいくつかある。
松戸中心部のあたりに、緊急用の舟行き場がある。そういえば、三郷にもあった。
江戸川だけで、5、6箇所あるらしい。
流山方面に北上して行く。
いつものことではあるが、サイクリングの終盤はつらい。
力を振り絞って、がんばる。
正確には、ガス導管専用橋となっていて、目的は都市ガス供給のため、となっている。
かなり、導管がむき出しで、大丈夫だろうか。
やっと、流山橋に着く。
しかし、これからの一般道が、かなり長い。
ひと頑張りである。