このブログを始めて、6ヶ月になろうとしている。
ブログの第一回目に、このブログを始めた理由を書いている。
定年退職後の、自由な生活の中で、だいぶ働きが悪くなってる自分の頭脳に刺激を与えようとしたのだ。
今まで、自分のことばで文章を書いたことが、ほとんどない。
強いて言えば、何年かに一回仕事仲間の広報誌に、作文を書いたぐらいである。
本を読んだり、ネットの文章を読むことは好きなのに、文章を書こうと思わなかった。
長年、事務系の仕事をしてきたので、文を書くこと自体は、嫌だとは思わない。
ただ、業務上の言葉ではなく、自分のことばで文章を書くことにすれば、頭脳にかなり負荷をかけることになるだろうと思った。
そこで、自分の行動や思考したことなどを書くことにした。
とにかく、書き続けることを最大の目標にした。
だから、テーマは特に決めずなんでもいいことにした。
いくつか趣味もあるので、それを書くだけでもかなり書けるだろう。
あと、唯一手元に置いてある菅江真澄の全集は、何年かかけて少しテキスト化していたので、それも載せることにした。
なんとか、だいたい毎日書き続けて、ここまでやってきた。
書き続けて思うことは、なんと昔話の多いことだろうということである。
子どもの頃のことを書いていると、それに刺激されるように他のことが思い出される。
もう、何十年も思い出したこともなかったことが、ひょっこりと思い出す。
私は、今67歳で、秋田には高校卒業の18歳まで住んでいた。
18/67の少年時代が、書くものの半分くらいは占めそうな勢いである。
年寄りの落書きみたいなものなので、しょうがないかも知れない。
人間にとって、どんな子ども時代を送ったかは、いかに重要なことかということなのかな。
先日、テレビを見ていたら、「回想法」という、心理療法があるということを言っていた。
たしかに、過去のなつかしい思い出について話し合ったり、思い出してみることは脳を活性化し、情緒を安定化させることになるという。
記憶のハードディスクの奥深く、何十年も呼び出されることもなく眠っていた記憶が読み込まれると、その隣にある記憶や、それと関連のある記憶も、読み込まれたりする。
私は、このブログに子どもの時代のことを書いていて、そんな経験を何回もしている。
そういう意味では、当初の目的以外にも役に立っているかも知れない。
あくまで、自分のために始めたこのブログだった。
結果として自分の頭の中にあることを、なんでも書いている。
ブログを始めなければ、絶対に存在しなかったはずの文章が存在してしまっている。
0が1になってしまったのだ。
始めるときは、あんまり考えていなかった。
とにかく、書き続けることが一番の目標なので、続けていきたい。