晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

わかこゝろ③ 菅江真澄テキスト

十五日 雨雲の余波なう晴て、あさひらけ行空に、月の山口をよろこびうちいひて、宿を出て桑原といふ名のあれば、
 
   草枕かりねの露もおなじくははらはで袖に月やどさなん
 
おなじところのながめを、なをかた。
 
   里の子がかふこのまゆのいとなひもほどへて淋し秋の桑原
 
嶺村といふあり。こをのぼれば姨捨山なりければ、
 
   出るより入まで月をみね村にすむてふ人やたのしかるらん
 
杉村も山のなかばに在て人すみぬ。
此そびらより峰にのぶりて、草の庵し堂のありけるに、観世音をおき奉るにぬかづきて、
 
   むかひ見る千曲のくまも残りなくてらさせ給へ水の月かげ
 
われ、あげまきの昔、此庵に二夜こもりて月見しところなれば、猶むかしのしのび出られて、ところ/\見ありくに、「秋をば捨の山桜」と、ながめおき給ひしその梢ども、はつしほちしほにもみぢたり。
高き桂の一もと立るに、うつぎの葉きばみかれたり。
やまは、ちくまの岸をふもとにみねたちのぼり、いかめしう高き巌あり。
ひんがしに見えたるはあり明のみね、冠着やま、西に名あるは一重山、いまさらに更級川のながれてもと、よみ給ふ水は細くながれて、やはたの村におちぬ。
そのあたりにかけ渡したるを、雲井の橋とやらんいふめる。
あかしの松とやらんは、わけ来しかりやはらにかれて、名のみたてり。
底にのみこそ忍びわたらめと、いひわたりたる筑摩川の流は、とはずともしりなん。
いつのころより、たれいひ初しともなう、田毎に月のうつれるはおかしなど、四十八町の小田は山のなかばに重れど、月のころは、いつも八束のいなほ露ふかうしなひて、水をふたぎて、月のうつる例もあらじや。
俊頼の書給ふ物語に聞えし、むかしの名はかふり山といひしとか。
又、宇治の大納言のたまひし冊子など聞え、やまと物語には、
 
「しなのゝ国、さらしなといふところに男すみけり。
わかき時におやはしにければ、をばなんおやのごとくにわかくよりあひそひてあるに、このめの心、いとこゝろうきことおほくて、このしうとめの、をひがゞまりゐたるをつれににくみつゝ、おとこにも、このをばのみ、心のさがなくあしきことをいひきかせければ、むかしのことにもあらず、おろかなることおほく、此をばのためになり行けり。
このをば、いといたうをひて、ふたへにてゐたり。これを猶此よめ、ところせがりて、いまゝでしなぬことと思ひて、よからぬことをいひつゝもていまして、ふかき山にすてたうびよとのみせめければ、せめられわびて、さすてむとおもふ也。
月のいとあかき夜、をうなども、いざたまヘ、寺にたうときわざすなる、見せ奉らんといひければ、かぎりなくよろこびておはれにけり。
たかき山の麓に栖ければ、そのやまにはる/\といりて、たかき山のみねの、おりくべくもあらぬにおきて、にげてきぬ。
やゝといへど、いらへもせで家にきて、おもひをるに、いひはらたてけるをり、はらたちてかくしつれど、としごろ、おやのごとやしなひつゝあひそひにければ、いとかなしくおぼえけり。
此山のかみより、月もいと、かぎりなくあかくて出たるをながめて、夜ひとよ、いもねられず、かなしくおぼえければ、かくよみたりける。
わが心なぐさめかねつさらしなやをば捨山にてる月を見て、と、よみてなん又いきて、むかへもてきにける。
それよりのちなん、をばすてやまといひける。
なぐさめがたしとは、これがよしになんありける」
 
といふよりぞ、月もあはれの名たかく、澄のぼるにこそあらめ。
さればにや其むかし捨られし伯母にたぐえてけん、祖母石、姪石、小姪石、甥石など侍ると、あないもほゝゑみてをしへたり。
くれなばふたゝびのぼりこん、いざ麓のかんわざにまうでんと更科の郷にくだり、やはたといふ処に至るに、曳つらなれる軒ごとに、いろ/\の火ともしをかけ、人多くむれたつ中に、かたゐら、銭もらふとて、谷水の樋のごとく落かゝるに、あかはだがのうばそく、こりめせ、こりのかはり/\と、左右の手に小笹つかね持てうちふり、路のかたはらにかたしろ作たるは、夜辺の花火のはてふるひたる也けり。
むつのね、きよくきよしと乙の声にとなヘ、さく杖ふり、鐸ふりならして、ものもらひのけんざ(験者)の、をこなひの声とよみ聞えたるにまさりて、栬葉は、こがれてのみも見えわたりけると聞えし、浅間のたけ、やけほろびたるにさはがれし、つくり画めせとうりありき、里の童うちむれて、きぼうし/\と杓もてよばひありくは、いぼたむし身にありける人は、ひろまへの御橋の護朽を、流くみあげてあらひ、なひもちかいたまへとて、ちいさき、ちまきのやうなるものを、わらもて作りたるを持ありき、とりかひたまへと、めとり、おとり、あまたかゝヘありく。
この雞の、くびを人のたもとにひきかけ、つばさも袖におしやられて、ううと、めをしばたゝいてうめく。
かく、とりはなてるこゝろは、いけるをはなつ、此日のためしをやまねびたりけん。
からくして人おし分ておほん前に至れば、放生会といふ額を、ひともしにして高くかけたり。
はふりあまた、かりぎぬをまくり手につゞみうち、笛ふき、青竜すざくのみはたを、秋風に吹なびかいて、いたゞきまつるに、ぬさとりたいまつるとて、
 
    いはひてはいく世になりぬしらにぎてなびくやはたの神のみづがき
 
このみやしろのしりへにめぐれば、弥陀八幡とかいて、まうづる人のまきけん、うちまき、みゆきのふれるかとつもりぬ。
立石の中より、ちいさき石なご、ところ/\星のごとくにうみ出たるを、めいしとて、この石をなでては、まなこひたぶるにすりぬれば、めのやまうのいゆるとて、神ほとけよりも、たうとめるも又あやし。
こゝは筑摩川のきし辺にて、小供らおりたちて、いしふしやとりてん、玉をやひろふならん。
姨棄のやまをもめでしと、小舟さし出てあそぶもありけり。
 
   ちくま河そこのさゞれや拾ふらんたもとひたして遊ぶうなひ子
 
此里に旅のなか宿してんと、あるやにひるねのまくらとる。
ほどなう、誹諧の連歌する人おほく国々よりいざなひ来て、此山にのぼらんとうち物かたらふほどに、日もやゝかたぶけば姨捨山に、さのぼりてんとて、田づらの細きいぶせきみちを、おほくの人々、おのがいはまほしきことをのみいひとよみ、むれ至りて、御堂にぬかさげて、萩薄かい分て夕露にぬれて、姨石の上にのばれば、日のくれかゝりたるに、もゝ斗の人居ならび在て、月のいでなんをねんじて待たるに、沢水の音もしづかに、こゝら鳴松虫の声あはれなるゆふべなれば、人のこゝろもことにすみ渡りて、なにくれと口のうちにずし、けぶりふきいで、あるは、かしらをふせて箕居し、ものかげはさしのぞきて、からうたやあらん、やまとうたやあらん、よき句やいで給ならんと、しのびやかにかたらひ、かくやいかゞ、こはおかし、其ことよりもこのこゝろばへや増らん、あなおもしろなど、あるはあふぎ、あるはひざの上にぬかさしあて、老ならぬ人も、みつわざしてうそぶき、みじかきつかの筆をかたにあげてねぶり、又、猫垣のむしろしいて、さゝへ、かれゐこをひらき盞とれるは、月見んこともわすれて、此うたげにのみこゝろを入て月のあはれもおもほえず、そむき/\、ひさげとらせたるもあやし。
此したつかたのたいらかなる岩のつらに、香くゆらし、男女集て月を待て、なもあみだぶちと、ねんずすり、ひたぶるにとなへつゝ、月を拝みたいまつれることまめやかに聞えたるは、いかに秀たる言の葉にながめたりとも、此男女の、ひたみちに月をおもふこゝろには、えも、をよぶべうも露あらじ。
宵うち過るころより、やをら月は、うちむかふ鏡台山といへるや、遠山の頂の、雲のなかをはの/\ともれ出るに、残るくまなくてりわたり、千曲河のながれは、しろがねをしきながすかと見やられて、こよなう、世にたとへつべうもあらじかし。
捨られしは、かゝる山路ぞかしと、いにしへのうきこともさらにおもはで、月になぐさむも、になくたのしとおもふに、更て丑過る頃ほひならむ、雲くらくたちおほひて月のかくろへれば、ほゐなう、みなたちしぞけば、やはたにくだり来て、あまたの人とともに、ひる宿しやに入て円居し、つたなうながめたる歌どものありけるを、こゝにかいつけぬ。
 

 

 

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