晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

増尾城址  柏市増尾

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増尾城址に向かうことにして、団地の公園を出発する。公園の向こうに見えるのは光ヶ丘消防署だ。

東武野田線を越えなければならないのだが、新柏駅増尾駅の間には、たしか4箇所、線路を越えられる場所がある。

一つが、新柏駅近くの踏切。

二つ目が、駅と駅の中間くらいにある歩道橋。

三つ目が、増尾駅に近い陸橋である。

四つ目が、増尾駅のすぐ近くに、隧道があるらしい。通ったことないような。

考えてみたが、三番目の陸橋がもっとも直線コースに近そうである。

みどりの広場から鉄塔通りを渡り、東武鉄道の線路を越える。

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鉄橋を渡ると、土中学校の校門が正面にあるので、右側に進む。

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梅が咲いていた

増尾里山という看板があるが、左側の里山方向には行かず、直進する。

伊賀殿という交差点で、市道を渡る。前から思っていたのだが、「伊賀殿」ってなんだろう。

お屋敷でもあったのだろうか。調べてみよう。

さらに進むと、突然、大津川の支流があらわれた。白い鳥と鴨が泳いでた。

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ちょっと進むと、流れはコンクリートで固められた水路になってしまった。

流れのすぐ近くには、増尾少林寺という柏市で唯一という臨済宗の寺がある。

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県道を渡ると、もう一つ寺院があって、その裏側に出た。

真言宗萬福寺である。なぜか、この辺は寺院が多い。

緑の森があちらこちらの見える。

この支流は、増尾城址の台地の南側を流れて、大津川に合流する。

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芝浦工大キャンパスの向こうは広幡八幡宮のある森

増尾城址と支流の間の平地には、芝浦工大の柏中学校高等学校のキャンパスがあり、支流の南側には広幡八幡宮ニッカウヰスキーの工場がある大きな台地がある。

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やっと、増尾城址公園に到着した。

出発から、1時間くらいである。思ったよりも、近かった。

途中に、東武鉄道の線路もあるので、歩いて来れるとは思っても見なかった。

確かに、地図で最短コースを考えると、4キロはなさそうである。

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主郭から、登ることにする。

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主郭は、思ったよりも狭い気がする。まわりを土塁で囲んでいる。

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虎口を通って、副郭に入ると、主郭の何倍か広く、やはり土塁で囲まれている。

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虎口より右側の土塁

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虎口より左側

虎口から、正面に大きな説明板があった。

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説明板の記載によると、増尾城址は約500年前の戦国時代後半築城形態を残す中世城郭である。

城主や築城の目的はわからないが、戦国時代、当地は小金領にあり小金城(松戸市)を本拠とする高城氏の家臣平川若狭守が城主であると推察される。

大津川とその支流がつくった谷津田に突き出た舌状台地上に、増尾城は築かれた。

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城址説明板の測量図

左側のにある虎口から出ると、すぐに櫓台となっているが、わかりにくい。

副郭の外側を、歩いてみる。空堀になっていて、右手の土塁は高い。

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空堀

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土塁

増尾城址公園は、 現在は総合公園として整備されている。

城址は、「森の中のお散歩ゾーン」です。ゆっくりと散策が楽しめます。

当日は、平日でやや年配の方がちらほらと歩かれてました。

ススレチックやバーベキューが楽しめる「森と丘の冒険ゾーン」、ビオトープのある「水辺のいきものゾーン」もあり、子どもを連れたファミリー向けになっている。

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城址下の広場

斜面になっている広場を登って、正面の入口までもどる。

ここから、往路とは違う道で新柏駅方向には向かうことにする。

近くにまだ行ったことがない神社があったはずなので、寄ってみることにする。

市道を降り始めると、途中で旧道が右側に分かれて行って、すぐに神社に鳥居があった。

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こじんまりしているが、しっかりした造りである。

社殿の脇に記念碑があって、由来が述べられていた。

名戸ケ谷香取神社は、創建は不詳であるが、地域の産土神(オボスナ様)、氏神として、代々尊崇し守り育っててきた、とある。

現在の本殿は平成22年に改築したものであるが、その前の本殿は天保7年(1836年)の建立されたものだったという。

名戸ケ谷の地をも見下ろす高台にあったので、鎮守の杜だったのであろう。

名戸ケ谷は、まだ住居表示に小字が残っている。

神社の地は、新畑で、近くには宮前や聖前というのもある。

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神社前の道を下り、県道を横切る。

すぐに、真言宗の法林寺がある。柏市では、「法林寺の大イチョウ」で有名で、柏市の天然記念物に指定されている。

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このすぐ近くに、西方寺というお寺もある。これは、浄土真宗である。

こんな、わずかな範囲の中に、どうして、こんなに寺院が多いのだろう。それほど、この辺が裕福な農村だったってことなのかな。

私の秋田の郷里などは、集落が何十とあるかなり広い村だったが、お寺は一つしかなかった。

お寺は、お布施で成り立ってるのだから、村の貧富の差としか言いようがない気がする。

昔の集落の道のような曲がりくねった道を通って、新柏方面に抜ける。

昔よく自転車できた道だけど、だいぶ感じが変わっていた。

両側が林に囲まれていたのが、住宅が広がっていた。

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林の道のはずれに、「名戸ケ谷の森」というのがあった。

柏市では、いろんな所で見られる。

柏市と土地所有者とボランティア団体が土地を活用する「カシニワ」という制度があって、それを利用した森だと思う。

この制度を利用した、オープンガーデンや里山や林の遊歩道は、ときどき見かける。

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 そのおかげか、柏市ではこのような林や森をときどき見ることができる。

 

本日の、万歩アプリによると歩程、14,541歩。

 

 

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