青空文庫には、なんと通し番号で376番まで登録されているが、よく見ると入力作業中の作品があったり、番号が飛んでいるのもあるようなので、実質的には300篇前後になると思う。
スマホで読んでいるのだが、スマホの画面で80ページ前後である。文庫本にしたら、その半分くらいのページ数になるだろう。
ペースとしては、だいたい1日2篇くらいである。
今日現在で、20番台の作品を読んでいる。
「銭形平次捕物控」の前は、岡本綺堂の「半七捕物帳」を読んでいた。
「半七捕物帳」は、幕末の時代が舞台だったが、幕府御家人の長男だったという岡本綺堂にとっては、それほど困難な作業ではなかったのかもしれない。
しかし、野村胡堂は岩手県の農家の次男であり、中学の同窓生に金田一京助や石川啄木がいたという人である。
それが、江戸時代の江戸の街を舞台に、江戸っ子を登場させる小説を書くのだから、たいへんなことである。
神田明神下に住む平次と子分の八五郎の掛け合いは、落語を聞いているようである
会ったら、まずお決まりのけなしあいから、始まることが多い。それが楽しみのひとつでもある。こんな感じである。
「やい、八」
「何です、親分」
「ちょいと顔を貸しな」
「へ、へ、へッ、こんな面でもよかったら、存分に使って下せえ」
「気取るなよ、どうせ身代わりの贋首ってえ面じゃねえ、顔と言ったのは言葉の綾だ。本当のところは、手前の足がかりてえ」
当初は、江戸時代の初期の元禄の頃だったが、30話くらいから、何故か江戸時代の後期文化文政に舞台を移している。
「銭形平次捕物控」は、大正年間に岡本綺堂の「半七捕物帳」の成功したことをを受けて、文芸春秋が野村胡堂に「半七捕物帳」のようなものを働きかけたものらしい。
そのせいか、最初の数篇は、とても気負いが感じられる。
語り口が、仰々しくて、事件の組み立てや展開に無理が感じられ、読んでいて疲れる。
しかし、徐々に自然に流れていくように、なっていく。
「半七捕物帳」は、半七老人が若き日を思い出して、語っているものである。
半七は、操作能力にたけているが、温厚で中庸な人物である。目立つような、脇役もなく、たんたんと物語は語られる。
それに対して、「銭形平次捕物控」は、美男の銭形平次、女房のお静、子分の八五郎、そして投げ銭と花やかさがあり、映像向きだった。
そういう意味では、まったく別ものであり、比べてはいけないものである。
比べる必要もない。
「半七捕物帳」も「銭形平次捕物控」も、推理小説の専門家や研究者からは、謎解きの面白さがないとか、レベルが低いなどの指摘がされているようだ。
私などは、推理小説の知識がないので、何が問題なのかよくわからない。
落語を聞いてるように、読んでいるところがある。
登場人物の語り口、江戸の町並み、食べ物、風俗などを楽しんでいる。
ただ、捕物帳だけに、流血シーンが多く、そこが難点である。
まだ、200篇以上残っている。
読み終わりは、いつ頃になるだろうか。
参考までに、私がスマホで青空文庫を読むために使っているアプリです。
「読書尚友」という優れものです。