ディック・フランシスという小説家に出会ったのは、ほんのちょっとした偶然からだった。
私は、我孫子市の図書館をよく利用する。
図書館と公民館の複合施設である「アビスタ」の一階のフロアの半分くらいが、我孫子市立図書館本館である。
その一階のロビーにベンチがあって、その近くに本棚があった。
そして、その本棚には、「必要な方は、お持ち帰りください。」と表示があった。
不要な本があったら、自宅から持ってきて置いておくと、欲しい人は持って帰る、というシステムになっていた。
いい思いつきだなと思うが、他の図書館では見かけない。
ある日、そこから私が持ち帰ったのがディック・フランシスの本だった。
それは、早川書房の海外ミステリーの一冊だった。
早川書房からカラーの表紙の新書版のミステリーものが出ているのは知っていた。
高校生の頃から、どこの本屋でも並んでいた。
でも、一冊も読んだことはなかった。
その時はたまたま、手に取ってパラパラめくってもう色あせた本が気になって持ち帰った。
もちろん、ディック・フランシスという人も知らなかった。
帰ってから読み始めたら、息をつかせない感じで止まらなくなった。
競馬の世界を舞台にしたミステリーだった。
私は、特に競馬に興味はなかった。
若い頃に、競馬好きの友人に勧められて、2、3回馬券を買ったことはある。
ディック・フランシスの小説は、必ずしも競馬の表舞台ではなく、競馬に関わるいろいろな裏の世界が見えるものだった。
ディック・フランシスは、競馬の騎手だった経歴を持っている。
調教師の助手をしてたこともある。
華やかな平地レースではなく、障害競争の騎手だった。
成長期に身長が伸びて平地競争の基準を満たせず、負担重量の重い障害競争で活躍することになる。
350勝という成績を残し引退して、競馬欄担当の新聞記者となり、16年間務める。
1957年、自伝「女王陛下の騎手」(The Sport of Queens)を発表した。
1962年、初の長編小説「本命」(Dead Cert) を発表し、以後約1年に一冊のペースで長編小説を描き続けた。
彼の小説は、彼の経歴からもわかるように、競馬に関わるさまざまな場所でおこる事件を扱っている。
小説のタイトルは、日本では「度胸」「興奮」「大穴」「飛越」と続く。ずっと、漢字2文字の熟語である。英語の原題は、単語1つからせいぜい3つである。
なので、図書館に行って、次のどれを読もうとかなと思った時、今まで、どれを読んだかがわからなくなる。
数えてみたら、長編小説を44冊書いている。
私は、半分読んでないと思う。
2010年、ディック・フランシス逝去の記事を、新聞で読んだ。
このニュースのタイトル。
朝日新聞 「競馬題材に推理小説 ディック・フランシスさん死去」
共同通信 「作家ディック・フランシスさん死去 競馬ミステリーの巨匠」
ロイター 「英作家のD・フランシスさん死去、競馬題材にミステリー」
私は、推理小説の謎解きなどにそんなには興味はない。
ディック・フランシスの小説も 、シャーロックホームズのように、イギリス社会を描くものとして読んでいたと思う。
私にとって、イギリスはどんな国か?
いまだに、貴族院がある国で、貴族が現実にいる。
英国王室は、数百年前はフランス語を話していたし、フランス語が公用語だった時代もあったらしい。
ジョン・レノンが“Working Class Hero"を、歌うような国である。
競馬場でやるような近代競馬は、16世紀にはイングランドで行われていたらしい。王様、貴族や有力者が自分の馬で競争させてたのだろうか。
16世紀って、日本の戦国時代である。江戸時代に、大名や旗本などがひいきの相撲取りを応援してたのを、もっと大がかりにしたようなものだろうか。
でも、世界史が苦手だった私のイギリスについての知識は貧弱なものである。
しばらく中断してたディック・フランシスの小説を読み始めようと思う。
それと同時に、イギリスの歴史をもっと勉強してみよう。