自分が年をとったせいだと思うが、考え方が変わったなと、思うことがある。
疑り深くなった。簡単に信じなくなった。
ものごとを、比べないようになった。
比べるべきものではないものを、比べない。
比べるということは、それぞれを同じ基準で判断しようとしている。
もともとが違っているものだから、一つの基準だけを使うのは無理だ、と考えるようになった。
これはよくて、これは良くない、ではなくて、それぞれの良さがある。
いろいろな人に出会う。
いろいろなところへ行く。
いろいろな番組を見る。
いろいろな映画を観る。
いろいろな音楽を聴く。
いろいろな本を読む。
いろいろなものを食べる。
いろいろなものを飲む。
なにかとなにかをくらべようとする。
モノサシがひとつだけなら、優劣をつけることになる。
モノサシがいっぱいあれば、それぞれのいいところを見つけられる。
くらべてはいけない。
くらべるべきではない。
そう思うようになった。
あたりまえのように、正しいといわれていることがある。
あたりまえのように、まちがっているといわれていることがある。
ほんとに、正しいのだろうか。
ほんとにまちがっているのだろうか。
100%正しいことはないように思える。
100%まちがっていることもないように思える。
ものを見る角度を変えてみれば、ちがって見えてくる。
ものごとには、裏があるのだ。
角度だって、見ようと思えばいくらでもある。
モノサシをいろいろ用意すれば違ってくる。
100%ではなくなる。
私は、もともとなんでも信じやすい人だった。
いつからか、なぜか、ほんとにそうなのかなと考えるようになった。
金子みすゞさんという詩人がいる。
私が子どもだった頃、教科書にはのってなかった。
今の教科書には作品がのってるそうだ。
「私と小鳥と鈴と」という詩がある。
「鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。」
鈴と小鳥と私は、それぞれちがったものだ。
そして、ちがったいいものを持っている。
SMAPの「世界に1つだけの花」という曲があった。
「世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ」
という歌詞があった。
そして、次の歌詞で終わる。
「NO.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one」
ひとつのモノサシならナンバーワンで、
モノサシがいっぱいあれば、オンリーワンなのかな。
本の売上数は、数字で数えることができる。
CDの売上数も、数字で数えることができる。
でもその本や、CDの内容がどれだけのすばらしいものだったかは数えられない。
世論調査というものがある。
1億3000万人の動向として発表される。
サンプル数は、わずか数千人である。
そのうちの、数パーセントの上下で、一喜一憂したりする。
ほんとに、信じていいものなのか。
でも、権威あるもののように公共の電波で放送されたりする。
信じやすいというのも、考えものだな。