晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

わかこゝろ⑤ 菅江真澄テキスト

十六日 つとめて神宮寺といふ寺にまうづ。
このみてらのふみにいはく、彦火々出見尊の妹姫、おはんこゝろ世にさかなうおましまししかば、此かぶり山に捨られ奉りしより、山は姨捨の名におへりとか。
此こと、いづれのふみにかありけん、
 
「わが心つきはてぬとや庵さす姨捨山の入相の空」
 
と、慈鎮大とこのよみ給ひしも、此ふる寺などのことにやあらんか。
善光寺にまうでんとて、そのすぢをわくる。
行ずりの、うちつけにものかたらふは雛川清歳とて、もゝふねのはつる、つしまのくにより来ける、よベ見し人なり。
をさなきより朝鮮に渡り、ことさやぐことの葉をまねび、ことかよふをわざとせりけれど、身に、いさゝかあやまりおかして、かくさすらへありく。
路の辺に休らひ、諺文して、なにくれと、ことやうにかいなし、その国のこと葉もて、かれはかく、これはかくぞいふめるなど、ときかたらひてけるに、浅茅山の梢しぐれん色も、うへかたのやしほにそむるも、名も竹敷の浦間のもみぢ、われ行て見まほし、いかになどこととひかはして、
 
   たかしきの浦の栬葉よる波にちらすなゆめとたちや出けん
 
とてやれば、此きよとし、越のくににまかるとて、わかれたり。
飯形やまといふ村をへて、塩崎といふやかたに、よねたはらおふ男あまた身にあせしてゆきかふに、弓のごとくおし曲たる篠を、国の名にはへいちことて、うしにつかねつけて行は、戸隠山よりとり来れるさゝ竹なれば、太雪にふして、かくなんまがれりとか。
此うしひきも、よねおひ集ひたる子らも、あないきぐるし、水ひとつとて、やの門にこひのみぬ。
 
   余所めさへみつるはくるししはさきやからきうき世を渡る里の子
 
こたびの雨に水いやたかくあふれて、塘などところ/\やぶれたれば、丹波嶋を左に人て、ひろき河原に出たり。
うばそくひとり酒にゑひて、あらぬふしいひて過るあり。
又、かれが唄ふを聞ば、
 
姨捨山にてるがかみ姪子にこゝろゆるすな」
 
と、声もしどろに行くは、をば捨山の観音ぼさちのかたはらに在て月見てんとのぼりく人ごとに、ぜにこひとりて、鈴ふりたる、かたゐのけんざ也。
たぶれたる一ふしながら、此姨捨山の、いにしへよりの諺ならんとおかし。
小松原といふところに出て、綱引ふねにひきわたされて、小市といふなる村につき、鈴花河になりてふな渡あるも、れいのつなひく舟なり。
行/\て善光寺のみてらに至りぬ。まうづる人多く、にぎはへるさまは、むかし見しにことかはらず。
しばしみまへに在て、ぜむかうじといふことを句ごとの上において、
 
   せきあへずせぶなみだにかきくれぬうき身のつみをしれる心に
 
見まほしきかたも、とはまほしきこともあれど、とく/\かへりなんといざなへる人のいへれば、ふたゝびといひて、みてらのかどわきのやどりにつきぬ。
ひるより空うちくもりて、月見んことこそかたからめとかたりつゝ、
 
   月や見ん河中嶋に雲のなみたちなへだてそいざよひのそら
 
十七日 あしたよりくもりて、やがてふり出たり。
雨づつみしてすゞはなの川に来つれど、川長もあらで、いかゞせんと人々来とゞまりてためらひ、こはいと浅し、われまづ瀬ふみてんと、さきだてる人のあるにつれて、さ渡りてんとてみな水にさし入て、おもふことにあさければ、たぶれうた。
 
   いさとくもあさ河わたれすゞ花のさかりにふらば水はまさらん
 
いくばくの里はあれど、きのふ来しすぢなれば、みなかいもらしつ。
ふたつ柳に来り、野中に、おほきさ、うしのかくろへる槻のもとに、人あまた居たり。
 
   心ある人やあふぎてたちまちのつきの木かげにいづるをやまつ
 
しほさきよりはこなたにある里の名は、なにとがいひしと、門にさしのぞく女のあればとふに、いらヘ、さらにせでにげ入たり。
何にくるふ女ならんとおもへば、しりよりくる男、この村の名を、わかき女などははぢらひて、ことところの人には、えこたへ侍らず。
こは、いかにひめてかといへば、いな、屁窪と申がおかしとてわらふ。
げにや、こたへざりけりと、人おとがひをはなちてかたらひ過て、いなり山になりて、古了といふくすしをとぶらひ、しばしといへど行さきいそげば、やがて、さるがばんばも雨ふりてのぼり、見し姨捨はあなた、一重山はこなた、千曲河を見やり、わけて青柳のすくに来けり。
わかき女二人、雨にぬれしと麻衣をかつぎ、うたうたひ過るに、和泉式部の物語おもひ出て、
 
   これも又いなりの山の近ければあをやきぬらん里の乙女子
 
此ところに宿つきたり。
 
十八日 太刀崎よりのぞめば、左のたかねより太谷の底まで、まくだりに糸引くだしたるやうに細みちのあるは、あらしといひて、柴かりつかねて、みねより落す、そのすぢなれば木草の生ふことなけん。
其昔の聞えたり。
 
   山賤が峰よりおとす柴車あらしのみちや音のをやまぬ
 
みな見たるすぢなれば、かいもらしぬ。
こよひは浅間のいでゆにとまりてんとて、其みちをわけて至る。犬飼のをとゞとかや、さすらへ給ひしころ、おく山に、湯けぶりのたつをはる/\と見やり給ひて、ゆあみ給ひしをはじめにて、人ごとにこゝを、いぬかひの御湯と、その名たかう世に聞え渡りぬ。
捨遣集物名の歌にいはく、
 
「鳥の子はまだひなながらたちていぬかひの見ゆるやすもりなるらん」
 
とあるも、いぬかひのみゆを、よみたりけるにこそあらめ。
湯もりがやかた、自庵といふにとまりたり。このゆふベ、
 
   みねの庵雲なとざしそこよひまたこゝにゐまちの月やながめん
 
直堅のいはく、月いづるとて、さねてんとて、
 
   旅衣かたしきまでは月もやゝ出て野はらの露にやどれる
 
いで湯にいきてんとて至りて、
 
   出るゆのふかきめぐみを身にぞしるいかにあさまの名にながれけん