晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

花粉症とアレルギー

花粉症の季節がやってきた。

今年5歳になる孫娘に、花粉症の症状が出たので検査したら、いくつかのアレルゲンが見つかったと、先日来たときに言っていた。

まだ小さいのに、悩ましいことだ。

悪化しないければ、いいのだが。

 

我が家も、私以外の家族は花粉症の症状に苦しんでいる。

秋田県で秋田杉に囲まれて育った私は、なぜか症状はない。

ただ、年をとるにつれて、香辛料に対する反応がひどくなっている。

特に胡椒系にはとても大きなくしゃみが出るが、この香辛料過敏症がアレルギーから来るものかはわからない。

食事中にくしゃみが出るたびに、家族の冷たい視線を感じ、食卓を離れる。

ちょっと目がかゆいかなぐらいは感じることがあるが、自分が花粉症であるかは微妙である。

そこまで、困るような症状はない。

私には姉が2人いるが、下の姉がウルシに弱かった。

子どもの頃のことだが、ウルシの木にさわらなくて、木に近づくだけでウルシにかぶれた。皮膚が広い範囲でただれていた。アレルギー体質だったのだと思う。

自宅の近くの道路のそばに、ウルシの木があったのだ。

私も、上の姉も、木に触っても大丈夫だったし、父や母も、アレルギーではなかったと思う。

 

妻は、子どもの頃からアレルギー体質だったらしく、皮膚が弱い。

虫刺されもなかなか癒らず、跡が残ってしまう。

その体質は、3人の息子たちも受け継いでいる。

孫娘の父親である長男は、3歳の時に気管支喘息で入院した。

気管支喘息は、気管支炎が悪化して気管支が狭くなってしまい呼吸が難しくなる。

診察に行った近くの病院で、血液中の酸素量がとても低下していてここでは対処できない、と言われ、市内の救急病院になっている大学病院に送られたのである。

付き添いができない救急病院に、親から離れて1週間の入院は、かわいそうだった。

まだ幼い息子はもちろん、親の私たちも心が対応ができなかった。

私は、仕事帰りに病室に寄っていた。

その時に、気管支喘息について勉強した。

そして、アレルギーの三大症状が気管支喘息アトピー皮膚炎と花粉症であることを知った。

気管支喘息は、夜中に症状が悪化するので、しばらくは、病院の救急病棟に何度通ったことだろうか。病院の正面玄関よりも、裏の救急の入り口から入ったことの方が多かった。

何年かして、スイミングクラブに通うようになって、呼吸器が発達したのか、症状がなくなった。

 

アレルギーは、 外来の異物(抗原)を排除するために働く、生命にとって不可欠な生理作用である免疫反応が、特定の抗原に対して過剰に反応するものであり、自らにとって有害な反応になってしまったものである。

花粉症の抗原が、スギ花粉をはじめとした植物の花粉であるのは確かにしても、これほどまでに多くの発症者が生ずる原因については、ハッキリしていないようだ。

抗原であるスギ花粉が大量に飛びかっているはずの地域で、かならずしも花粉症の発症者が特に多いわけではなく、むしろ都市に移住して年数が経過すると症状が現れると言われる。

このような状況を考えると、自動車排気ガスなどによる大気汚染によって、体になんらかの物質が蓄積されるのではないかとも考えられる。

もともと持っていた遺伝的な体質との関係はどうなのかとか、考えているとどうもむづかしい問題になってしまう。

 

 

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