晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

わかこゝろ⑥ 菅江真澄テキスト

十九日 つとめて浅間をたつ。
このあたりをさして、
 
「浅羽野にたつ水輪小菅ねかくれてたれゆへにかはわが恋ざらん」
 
と聞え給ふる。
 
この朝葉をあやまりて浅間といへるにや。
 
   鈴虫のふり出てながめ紅のあさはの野良やいざわけて見ん
 
松本を過ぎ村居をへて芝生に体らふほどに、きのくに牟婁郡田辺の里なる訓殷といふ人、姨捨山に在て一夜かたらひて、相しれるが通りけるを、こはいかに、なれ見し月の友がきよと、うちものがからひてくる。
 
この訓殷は香風とて、はいかいの連歌こゝろざし浅からず、さりければ、こたびの月にもざさらへ来て、姨捨山のながめに、
 
「捨られはかゝる野山やけふの月」。
 
香風は、田辺のなにがしの里のをさにて、
 
「世を旅にやどをかり田のほとりかな」
 
と、宗祇法師、文明のころ句ありたりけるをもて、庵つくりて、いますめりけるとか。
此友は、こよひ宣甫がやに、われは可児永通が家につきて、ふたゝびとてくれたるまどゐに、香風衣つゝみのうちより、十府の菅、宮城野の萩など、ふるさとのつとに折もて行とて、とうだして見せけるに、
 
   色深きこと葉の花も折まぜて萩の錦をみやぎのゝ原
 
あるじの宣甫にかはりて、
 
   菅こものなゝふに宿しわかれなばたえずも人をふみにしのばん
 
二十日 香風にわかるゝあしたになりて、
 
   わかれてもおなじかりねの草枕むすびてあはんよな/\の夢
 
その夜、姨捨山によみたりける歌の冊子に、ものかいてと人のいへば、いなびがたくて、
 
「ひさかたの天のひかり四方に明らけく、あまねく世にみつのとし、そめわたる木々の葉月、もちのこよひを、手を折/\の空にむかひ、水の面にてる月なみをかぞへて、おもふかぎりうちむれて、旅衣わもひたちぬるに、われもおなじう、みすゞかる科埜のくににありて、いざいきねと人のさそふにうれしう、心あはたゞしく、此夜をば捨山にのぼりて、いかめしきいはほの上なる、莓のむしろにまどゐして、いまだ夕くれはたぬよりまちまたれて、見もしらぬ高根のあたりにこゝろをやりて、むなしく見やりたるほどもなう、やをらさしのぼるかたは、山のいくへも波のやうに見やられ、ふもと行水のしろがねをながせるかと、千曲の川なみよるともわかず、つな舟も、月にひかれてながしやしてむ。
 
わけのぼる人のけはひの、こゝかしこにあらはれて、虫のこゑ/\風のたゝずまひ、木草の露も、よしある月のこよひなりけりと、こゝらの人の、ながめたる心のくまもあらで、世中はみな、此月の中にこもりてやあらん。
 
かゝるたぐひなき大空の光にや、なぐさめかねし男のこゝろまでおもひ出られて、猶いにしへの人にものいふこゝちすれば、いかにおもふとも、いとゞいへば、えに、こゝろくるしくて、あふぎたる人々のこりなう、心こと葉のをよぶべきかはと、たゞ声をのむに、さなんめりとて、はぢらひてやみぬ。
 
さればとて、人わらはれなる一ふしもかなと、より集ひて、旅なる硯まかなひいだして、人のながめたるに、われも、かたくななるひとくざをとてしるしぬ。
 
世に見ん人のめにはつゝましけれど、此月のにほひに、あくがれ来れるしるしとも見ん、人のこゝろのそこまで清らかにすめれば、言の葉のみちのまどひもなう世にてりかゞやかし、ひかりまされるこそ、こよひの月のはゐならめかも」
 
 

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