晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

天災と人災の間にある境界

先日、東日本大震災について書いた時に、この大震災のどこまでが天災でどこからが人災なのだろうと、考えざるを得なかった。

私のような素人が、何を考えてるのだ、となるかもしれない。

でも、私のような素人でもこれはいったいどういうことなんだ、と考えざるを得ないことがあり過ぎるのだ。

 

東日本大震災による死亡者は、15899人である。

内訳は、地震による圧死、損傷死、その他   667人

    火災による焼死           145人   

    津波による溺死          14380人

    その他                             666人

地震 、火災については、その建物や施設などが法的な不備などがない限り天災と言えるかもしれない。

津波については、とても問題が多岐にわたることになる。

会社や住宅などの建物、言いかえれば街をどのように計画するか。

そして、住民の避難をどのようにするか。

過去の地震津波の歴史を調べてみると、東日本大震災程度の地震津波は、何十年周期で起きている。

記録に残っている最も古い三陸地方の津波は、869年の陸奥国貞観地震だが、多賀城の近くまで津波が来ているのだ。

そして、海食崖の調査によって、紀元前4000年頃から約1000年周期で超巨大津波が発生していた痕跡が残っている。

つまり、確実に地震は起こり、津波は押し寄せる。

10メートル程度の防潮堤では津波を防ぐことはできないので、津波の来るところにある街は破壊される。

それを防ぐには、津波の来ない場所に街を作らなければならないが、現実問題それは難しいだろう。街を移転させたところもないわけではない。

震源地の位置にもよるが、地震が発生してから津波が押し寄せるまでは、時差がある。

東日本大震災の時は、地震発生から3メートルほどの津波が来るまでに20分以上の時差がある。しかし、そのあと最大の津波になるまでは数分しかない。

津波を見てから、避難しても間に合わない。

地震が発生したらすぐに避難する必要がある。

 

地震が発生して、津波の恐れがあったら、どのような手順でどこに避難したらいいのか。

日本は、今までに巨大な津波を経験している。

三陸においては、明治三陸地震津波で2万人以上、昭和三陸地震津波で3000人、チリ地震津波で140人以上の死者を出している。

その経験が生かされてなかったのである。

地震があったら、どんな手順で、どこに避難する。

今までの過去の津波を考慮しての対策がされていれば、死者の数を減らすことはできたはずである。

2mの津波で木造住宅は全面破壊され、4mの津波で鉄筋コンクリートビルも持ちこたえるか難しい。

それなのに、東日本大震災津波は、15mを越えていたのだ。陸に上陸しての遡及高は40mを越えている。

 

福島第一原子力発電所の建設にあたって、想定した津波の波高が10m以下だった、ということを知った時は唖然とした。

標高10mに設置された発電所に、14mを越える津波が来たのだから、起こるべくして起きた事態だったといえるだろう。

なぜ、そんな所に原子力発電所を作ったのか。

いろんな記録を読んで思ったのは、経営者がコストを考えて、都合の悪いデータは見ないことにして、都合の良いデータを用いて判断したということだ。

つまり過去の、津波の痕跡はないことにされた。

20万年の人類の歴史なんて、46億年の地球の歴史に比べたら微々たるものに過ぎない。

人間が自分の都合でものを考えても、地球の理屈には通用しない。

原子力発電という諸刃の刃を使いたいのならば、ちゃんと科学の粋を使わなければならない。

そうしないと、これから何世紀にわたるかわからないツケを払うことになる。

 

他人の土地を奪ったら、犯罪である。

いくつもの町の土地を使い物にならなくしたら、大犯罪である。

これは、人災と言わないでなんだろう。

誰が、責任を取るのだろう。

責任の取りようがないけれど。

書いていて、悲しくなってきた。

 

 

 

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