数年前に、母が亡くなった。
父は、もう30年くらい前に亡くなっている。
アルバムのようなものを作ろうとして、二人の写真を整理してきた。
ほとんどは、スキャンしてデータ化した。
ところが、二人の若い頃の写真がほとんど残っていない。
たしか、黒い台紙のアルバムがあったはずなのだが。
昔は、何かの記念とか行事の際に、写真館で撮影してもらっていたのだろう。
父や母の写真も、学校の卒業とかに撮ったものとか、そうゆうものだったと思う。
だから、枚数はそんな多くはなかった。
今のように、手軽にスナップはとれなかった。
その黒い台紙のアルバムが、見つからない。
たぶん、引っ越しの際になくしてしまったのだと思う。
考えられるのは、郷里の村から大館の街に移った時、そして大館から横浜に移った時のどちらかである。
ないものはしょうがないので、あるもので作ろうと思う。
今は、アルバムの元になる写真さえあれば、手軽に製本したアルバムが作れる。
孫娘のスナップを元にしたアルバムや、友人との旅行のアルバムは作ったことがある。
写真屋さんでも扱ってるみたいだけど、私はネットでやった。
印画紙や製本のグレードを選ぶことができるので、友人に配るくらいの手軽なものから、保存用のしっかりしたものまで、目的にあわせてつくれる。
いつまで作ろうと決めてなかったので、先延ばしになっていた。
そろそろ、とりかかろうと思う。
白黒写真から、カラー写真に変わっていったのは私の記憶では高校生くらいである。
ということは、1970年頃ということになる。
白黒写真の色があせたのをセピア色と言ってたが、現像の際の水洗いが十分じゃないとなるようにいわれてたけどほんとだろうか。
そういえば、カラー写真も初期の頃は何年もしないうちに色あせてたような気がする。
知らなかったけれど、「セピア」はイカ墨のことだそうだ。
イカ墨は耐水性があるので、インクや染料として使われていて、その色をセピアと言ってたらしい。
私が、初めてカメラを買ったのは、学生になってアルバイトをして旅行に行くことになったからだった。
オリンパスペンという入門用の、シンプルなやつだった。
その頃のカメラは、フィルムは35ミリの普通のものを使うが、ハーフサイズに対応というのが多かった。
24枚どりのフィルムで48枚も撮れるので、旅行から帰ってもまだ余っていた。
写真というものがかなり贅沢なものなので、自分でフィルムを現像して、印画紙に焼き付けもやる人が多かったらしい。
母親の兄さんもそういうことをやってたらしいし、小学校の担任の先生は遠足などがあると自分で現像焼き付けして、クラスのみんなにただで配っていた。
そのかわり、写真のサイズは小さかった。
年の離れた伯父さんが、カメラや8ミリを持っていて、札幌から帰ると写真を撮ってくれたのでスナップ写真が少しは残っている。
今は、フィルムは不要なので、いくらでも写真を撮ることができる。
消そうと思えば消せるが、そのままで保存していることが多い。
だから、膨大な量の写真のデータがハードディスクに保存されている。
ほとんど、プリントしていない。
突然、ハードディスクが壊れたら悲しいことになる。
当然、バックアップをとっておくべきだと思うが、なかなかマメにできるものではない。
プロの人たちは、それを当たり前のように、毎日やってる
どうすれば、毎日それができるか。
システム化しなければ、ならないのだな。