晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

頭髪と制服について考える

この数年、高校野球の世界では坊主頭でないチームが話題になっているらしい。

最近は、ほとんど野球を見ないので知らなかった。

最近になって知ったのだが、私の郷里の秋田代表のチームも坊主頭のチームではなかったようだ。

でも、監督が頭髪自由を提案したら、髪を伸ばすのは恥ずかしいという声があったそうだ。

まわりがみんな坊主頭だから、髪伸ばすのが恥ずかしいって、かなり重症だよなあ。

令和の時代になっても、坊主頭ではないチームは少数派なんだな。

 

私が、秋田の山奥の中学校の野球部の一員だったのは、50年以上むかしのことである。

野球部は、他の部もそうだが頭髪自由だった。

制服もあったけれど、標準服というのかな、普段は自由だった気がする。

ずいぶんむかしなので、記憶が曖昧だ。

入学式、卒業式、それに記念撮影の時は着ていた。

小学校と中学校は、違ってたかな。

高校も頭髪自由だったが、野球部は坊主頭だったと思う。

頭髪自由だけど坊主頭を選択していたのか、坊主頭強制だったのかはわからない。

私は、新聞部だったので、関係なかった。

そういえば、高校は制服があったので、生徒会で制服廃止の討議してた。

何回も、全校集会をやって、全校投票の結果制服廃止が僅差で否決されたんだった。

制服自由の理想派より、服装自由になったら面倒だという現実派のほうが、ちょっと多かった、ということだったのだろうか。

その頃、制服を廃止した高校が全国にかなりあるらしい。

私が今住んでる市にもその頃制服廃止した県立高がある。

妻と話してたら、妻の通ってた都立高は服装自由だったらしい。

まあ、半世紀前の話だけど。

そんなわけで、私は、中高大と坊主頭にしなければならない、ということはなかった。

 

就職して千葉県にやってきた。

私の住むことになったのは、千葉県北西部の東葛飾という地域である。

その頃、この地域では中学校の男子は坊主頭だった。

私にとっては、かなり衝撃的だった。

昭和51年(1976年)である。

今どき、坊主頭なんだ、という感じだった。

小学校では坊っちゃん刈りだった男の子たちが、坊主頭にされていた。

もっとも、我が家の息子たちが、中学校へ入学する頃には頭髪自由になっていた。

 

坊主頭強制は変だと思うが、坊主頭禁止もおかしいと思う。

頭髪自由で、自分で選べるのがいいんじゃないかな。

今は、坊主頭強制は、表向きないだろう。

でも、一応頭髪自由だけど、坊主頭にせざるを得ない、というのがいちばんおかしい。

たぶん、今はそういう状況なんじゃないのかな。

たぶん高校のいろいろある運動部で、坊主頭のパーセントが高い上位に野球部は入るだろう。

私は、野球部に4年間在籍して、野球に愛着を感じながらも、なにか野球について古い体質を感じてしまい、遠ざかっている。

それは、プロ野球についても同様である。

 

プレジデント・オンラインというネットの記事で、慶應義塾高校野球部監督の森林さんという方が、このことについて話していた。

高校野球は坊主頭」という固定観念を変えられなければ日本の未来はない、と題する記事だった。

そのなかで、最近甲子園に出場している次の三校は坊主頭でない、と校名をあげている。

旭川大、秋田中央、花巻東

この三校が、北日本の高校であるのは単なる偶然ではないように思える。

 

 

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