晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

PCR検査を体験した

PCR検査を受けてきた。

前日に発熱し、検温したら平熱より1.5°Cほど高かった。

いつもなら、それくらいの熱は、寝ていれば治る。

体がだるい、のどが痛い、というのもあったので、検査を受けることにした。

家族やまわりの人たちのことを考えると、そうするしかない。

自宅のすぐ近くにも、病院はあるがコロナ対応は充分ではなさそうだ。

全国展開している大手の民間病院が、車で15分くらいの所にあるので、そこで受けることにした。

屋上にヘリポートがあるような病院で、私の母も入院していたことがある。

車で近くを通った時に、コロナ対応用に別棟のプレハブ病棟を見た気がする。

 

私は、子どもの頃から健康で、病気らしいものをしたことがない。

それでも、年に一回くらいは熱が出て起き上がれなくなることがある。

そんな時でも、食欲はそんなに落ちない。

1日寝ていればなんとかなる。

食欲がなくなった時はあぶない、と自分で思っている。

 

コロナだ、PCR検査だと騒いで一年四カ月である。

ところが、私の知ってる範囲で、コロナに感染したという話は聞いたことがない。

感染どころか、検査しましたというのも聞いてない。

さすがに検査した人はいると思うので、聞こえてこないだけだろう。

 

考えてみると、私がコロナのことを初めて知ったのは、2019年の12月の初めだと思う。

ネットの記事で、どうも中国の武漢という町で10月頃から原因不明の伝染病が流行っているらしい、というのがあった。

この時点では、うわさかデマか、そんな感じだった。

マスコミは、まだ取り上げていなかった。

マスコミが取り上げるようになったのは、2020年になってからだと思う。

WHOが、新型ウィルスを認定して発表したのが1月8日だそうだ。

屋形船、大型客船、そして世界での感染拡大。

わずか1年、とてもむかしのことのように思える。

記憶もあいまいなのは、あまりにも多くの出来事があったからだろうか。

 

検査自体は、3時間くらいだった。

検査の流れは、次のようなものである。

①   問診票を記入。

②   看護師による検温、血圧測定。

③   胸部のレントゲン検査。

④   医師による診察。

⑤   看護師による検体の採取。

結果的には、こんな感じなのだが、受付の段階で検査の概要というか流れをまったく知らされない。

それぞれの項目は、合計してもたいした時間にはならない。

上に書き出したくらいの内容と所要時間をプリントして、渡してくれるだけで充分なんだけどな。

待ってる時間が、ひたすら長い。

だから、次に何をやるか、どれぐらい待てばいいのか、がまったくわからない。

何も知らされずに、ただ待っているのはつらいものがある。

 

物事を進めるにあたっての重要なものが欠けていると思った。

検査する側の人たちは、毎日同じ作業を繰り返している。

しかし、検査を受ける人は毎日違う人たちである。

検査を受ける側に対する配慮がないのだな、と思った。

その他は、そつなく進んでたので、そこだけがもったいない。

 

医師の診断は、レントゲンの結果は肺炎の兆候はなく、ウイルス性のもので、その一つがコロナですので検査しましょう、ということだった。

綿棒みたいので、鼻の奥をかなり強くグリグリやって検体を採った。

そして、解熱剤をもらって帰った。

会計は後日ということで、窓口には寄らなかった。

 

検査の結果は、2日ぐらいで連絡します、と言っていたので、明日くらいかなと思っていた。

熱もないけれど、ちょっとだるいかな、とダラダラして、この文章を書いていた。

そうしていたら、病院から検査結果の連絡が、電話であった。

「陰性でした。」とのこと。

現金なもので、とたんに体を動かす元気がでてきた。

 

 

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