「 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ」
宮澤賢治は、「アメニモマケズ」で、こう書いた。
一日に玄米四合は、今の感覚ではかなり多い。
でも、きつい農作業のためには、それくらいは必要だったろう。
あとは、味噌汁と畑でとれた野菜である。
「一汁一菜」というやつだろうか。
そういえば、農家で育った私もこんなものだったな。
肉、魚を食べることは、ほとんどなかった。
米の量をはかる単位に、石というのがある。
加賀百万石などの石である。
石高が、一万石以上で大名として扱われたそうだ。
石という単位は、人間が一年に必要とする米の量に近いとして、長年使われてきたようだ。
加賀百万石は、人間100万人分のお米の収穫があるということになる。
1石=10斗=100升=1000合 なので、
1人の成人の年間消費量は、
3合✖️365日=1095合=1石9升5合 である。
今のように、1日2食になったのは、江戸時代元禄期以降らしい。
それまでは、朝夕の2食だった。
朝食は、ひと仕事終わったあとの遅い時間だったらしい。
農家でも、おじさんはひと仕事してから、朝ごはんを食べていた。
「朝飯前」の仕事だったのだと思う。
それが、2食から3食になったのは、肉体労働者が増えたことがあるらしい。
大火などにより、大工、左官などの職人が増えたので、昼食のための屋台や飯屋があちこちにでき、外食産業が栄えて、昼食が定着した。
平和になったとはいえ、武士ももともとは肉体労働者だった、というのもあるかもしれない。
それともう一つは、日没にあわせて、夕食を早めに食べていた。
それまで照明に使っていた魚油は、臭くて煤が出るものだったらしいが、菜種油が安価になって庶民も使えるようになった。
それによって、日没からの夜の時間が長くなったことも、1日3食となった一因らしい。
日本は、食料自給率が低いにもかかわらず、食べることに不自由は感じないでいられる。
世界がとりあえず食料を確保できる程度に平和である、たまものだろう。
人間の体が必要としている食料は、たぶんそれほど多いものではないだろう。
戦国時代に日本を訪れた、宣教師のザビエルは、日本人の食生活について次のように述べている。
日本人は自分等が飼ふ家畜を屠殺することもせず、又、喰べもしない。
彼等は時々魚を食膳に供し、米や麦を食べるがそれも少量である。
但し彼らが食べる草(野菜)は豊富にあり、又僅かであるが、いろいろな果物もある。
それでいて、この土地の人々は、不思議な程の達者な身體をもつて居り、稀な高齢に達する者も、多數居る。
現代の日本人は、美食だの、グルメだの、いそがしい。
そして、「過食の時代」である。
「食べれない恐怖」ではなくて、「食べさせられる恐怖」みたいなことを言ったのは誰だったろうか。
頭に残っているが、思い出せない。
食べすぎては、フィットネスだの、ダイエットだの、ご苦労なことである。
他人事では、ないけれど。
かつて、「ベジタリアン」とか「菜食主義」とかいうことばを聞いた。
私の子供時代の食生活も、ベジタリアンに似たようなものだったかもしれない。
でも、自分で選んでやっていたことではない。
最近は、「ビーガン」ということばも聞く。
これは、肉、魚だけではなく、乳製品なども食べないことらしい。
こういう言葉に対して、何か違和感がある。
西洋と東洋の違いとか簡単に言ってはいけないだろう。
「いただきます。」という時、私は自然に対して感謝している、と思う。
動物とか植物で分けて考えてはいない。
この世に生あるものは、植物であろうが動物であろうが、自然の中でお互いに生かされているのだろう。
だからこそ、自然の恵みに対して感謝なのじゃないかな。
違和感は、そこにある。
動物は食べてはいけないが、植物はいいのだろうか。
そこに、どんな違いがあるのだろうか。
動物だって、草食動物もいるし、肉食動物も、雑食動物もいる。
それは、自分の健康のためなのか、それとも宗教的、倫理的な問題なのか。
そこが、私にはよくわからない。
イルカやクジラは、食べてはいけないのか。
豚や牛や鶏は、食べてもいいのか。
ほんとに、食を難儀なものにしてしまっている。