晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

「銀座ナウ」という番組があった

学生時代の夕方、「銀座ナウ」という若者向けのテレビ番組があった。

今になって思えば、「銀座ナウ」というタイトルは、なんとも言いようがない。

私の学生時代は、1972年から1976年である。

午後5時から40分くらいだったので、夕方の講義がない時は欠かさず見ていた。

TBSの番組で、銀座のビルのフロアから生中継していた。

私の記憶に残っているのは、司会がせんだみつおだったこと。

音楽のライブ・コーナーがあったこと。

「しろうとコメディアン道場」というコーナーがあったこと。

オリコンのレコード売り上げベストテンの紹介があったことである。

 

ライブ・コーナーでは、キャロルがよく出ていた。

まだ、キャロルは人気上昇中くらいの時期だったと思う。

たぶん、客席もそれほどなさそうな狭い会場で、キャロルは演奏していた。

私は、この番組でキャロルを知ったと思う。

上下黒の革ジャンで、リーゼントだった。

ビートルズのカバーの「マッチボックス」や「スローダウン」をやってた。

オリジナル曲は、「ルイジアンナ」や「ファンキーモンキーベイビー」だったが、私はすぐに気に入った。

この番組で、キャロルは曜日レギュラーだったらしい。

どうりで、よく見かけたはずである。

まだ売れる前の、アルフィーもレギュラーだったらしく、記憶がある。

同時期に、フジテレビも「リブヤング」という音楽中心の番組を、愛川欽也の司会でやっていた。

キャロルが、テレビに初めて出演したのはこっちの番組だったらしい。

 

「しろうとコメディアン道場」で、チャンピオンになると、プロになってた。

ラビット関根清水アキラ竹中直人小堺一機などが居た。

出場者は、お笑い好きな学生という感じだった。

時代的には、第何期かの漫才ブームの頃だったのだと思う。

 

私にとって、とても印象が強く残っているのは、「オリコンチャート」である。

オリジナルコンフィデンス社長という小池聡行というおじさんが、毎週出演して、レコード売り上げの「ベストテン」を紹介していた。

オリジナルコンフィデンスは、1967年に創刊したという、レコード売り上げのランキングチャート誌だったらしい。

権威あるランキングチャートなどがない時代に、小池氏は、レコード売り上げを調査し、ランキングチャート誌を、作り上げたらしい。

そういうものに興味があったので、毎週ノートに「ベストテン」をメモしていた。

そのうちに、「オリコン」は年々存在感を増して行ったように思う。

今は、「オリコン」と並ぶようなものは他にもあるかもしれない。

何もない頃に、ゼロから作り上げるのはすごいことだと思う。

 

キャロルは、まもなく解散してしまう。

「銀座ナウ」も、私が就職してすぐに、終了したようだ。

 

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