自宅から近い神社のうちのひとつである豊住の白山神社に、行ってみることにする。
白山神社は、私の住む東中新宿より北方に、1km弱のところにある。
農業環境技術研究所のサイトにある「歴史的農業環境閲覧システム」の地図を見てみる。
この地図は、日本陸軍が明治初期にフランス式彩色地図という方式で製作したものである。
この地図で、私の住む周辺の地形を見ると、かなり大きな光ヶ丘の台地がある。
そして、この台地を水源とする小さな川が、東西南北いろんな方向に流れ出ている。
光ヶ丘団地の東端から流れ出た小川は北方に向かっていて、数百メートル進んだところで、麗澤大学の森を水源として東方に流れて来た小川と合流して、そこからさらに北東方に流れている。
さらに、名戸ケ谷まで延びて、大津川に注ぎ込む。
しかし、現在は流れはすべて暗渠となっている。
その流れの周辺の地域は、かつては低湿地であったと思われ、この地図では水田と表示されている。
現在は、ほとんどが住宅地となっている。
光ヶ丘団地からの流れと、麗澤大学からの流れが合流して、さらに東方に流れる小川の北岸は、根木内新田の表示となっている。
低湿地と根木内新田の境あたりは、「松」や「椚」の字の表示となっており、森林であったのだろう。
その森林の中に「城山宮」とあるのが、「白山神社」であると思われる。
現在は、「はくさんじんじゃ」と呼んでるが、「しろやまじんじゃ」が正しいのであろう。
自宅より、かつて小川が流れていたが、今は暗渠が車道の脇にあるところを進む。
右側には、日立グループの家族寮の鉄筋コンクリートの住宅が何棟もあったのだが、今は民間の分譲住宅となっている。
左側には、大きな農家の農地を、鬱蒼とした林が何100メートル四方かで囲んでいたのだが、最近林は伐採されて、中の農地が見えるようになった。
さらに進むと、やはり日立グループの住宅があったところが、民家の分譲住宅となっているところがあった。
数えてみると、なんとこの近辺だけで4箇所の住宅が、かつてあった。
3、4階建ての建物がそれぞれ何棟もあったのだから、かなり大規模なものだった。
その関係もあり、市内には日立製作所関係の施設が多かった。
日立製作所の体育施設もあり、その住所は「日立台1丁目」「日立台2丁目」である。
陸上グランドと体育館もあり、Jリーグ柏レイソルのホーム「柏スタジアム」もこの中にある。
日立の住宅だったあたりを通り過ぎると、南柏駅方向に向かう道路が分かれる。
左側は大きな農家の邸宅があって広い敷地であり、右側にはこの辺り花唯一の森林が残っている。
駅方向に進むと、大きな車道にぶつかるが、明治初期の地図では向小金から真っ直ぐに延びて、白山神社の前を通っている。
道を右に曲がるとすぐに、白山神社参道入り口となる。
参道から鳥居までは、右がふるさとセンター、左が駐車場となっていて、通路分しか残されていない。
境内には、改築記念の大きな石碑が残されていて、その内容は次のようになっていた。
白山神社は壱千七百七拾参年(安永弐年弐月)後桃園天皇時代に当地に鎮座される昭和七年に改築後今日に至り、今年平成十七年の大事業として多くの方々のご奉賛協力により施工完成した事を記する。
平成十八年参月吉日宗教法人白山神社
祭神は伊弉諾尊であり、江戸時代中期に創建されているが、千代田村史によれば、氏子戸数27戸となっている。
白山神社は全国各地に分布するが、関東地方には少なく、千葉県においては数えるほどである。
どのような事情で、この地に白山神社が創建されたのであろうか。
白山神社という名称の神社は、全国に2000社以上あるが、石川県白山市にある白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)を総本社としている。
石川県岐阜県の県境に立つ白山(2702m)の山麓に鎮座し、白山を神体山として祀っている。
祭神は、白山比咩大神であり菊理媛尊と同一とされ縁結びの神とされ、白山修験によって、白山信仰は全国に広められたと言われる。
境内には、小神社として稲荷神社と大杉神社がある。
かつては、白山神社の周辺は広大な深林であったと思われるが、社殿のすぐ裏も住宅地となっている。
神社の参道が面する道路も、わずかな農家が並ぶだけであっただろうが、今は住宅が続いている。
社殿の右側に、農家の敷地であろう森林が残っている。