入院中の妻の母に、1年ぶりに面会した。
1年以上面会できていない場合ということで、面会できますとの連絡が病院からあったのだ。
コロナウィルスのために、昨年2月から入院患者への面会ができなくなっていた。
その1ヶ月後くらいに、お願いしてちょっとだけ顔を見せてもらったことがある。
病院の心配はわかるので、その後面会することはなかった。
確かに、クラスターでも発生したら、大変なことである。
久しぶりにあった母は、以前と変わらなかった。
弱ってしまってることを心配していたのだが、ほっとした。
病院は、自宅から歩いて2、3分のところにある。
いつでも、会いに行けた。
私も、毎日会いに行っていた。
一昨年の夏に、倒れて身体が麻痺し、話すことができなくなった。
それまでは、北千住の駅に近いURの団地にひとりで暮らしていた。
すぐに駅近くのにぎやかなところに行けたので、東京で生まれて育った母にとっては、いい環境だったと思う。
趣味も多く、どこでも出かけて、お話の好きな人である。
今は話すことはできないが、目や口もとの動きを見ていると、こちらの話していることはわかっていて、何か話そうとしてると思える。
できるだけ、話しかけるようにしている。
会いに行くことくらいしかできないのに、それもできなくなってしまった。
妻の弟は、横浜と結城に住んでいる。
ときどき、会いに来ていたのだが、今はそれもかなわない。
病院は、5階建てである。
1階が、ロビーと診察室。
2階から4階が、病室。
5階が、リハビリ施設とレストランになっている。
毎月、入院料の支払いに会計窓口へ行く。
1ヶ月の経つのが、なんと早いことだろう。
この状態が、いつまで続くのだろうか。
母の病室は、4人部屋だった。
面会中止になるまでは、面会時間になるとそれぞれの家族が見えていた。
退院もままならないので、面会しかできることがないという、私たちと同じような境遇だったと思う。
それを考えると、面会できないこの1年間がいかに長い時間だったことだろう。
最初に救急で北千住に近い病院に入院した。
とりあえず病状が安定したということで、転院をすすめられた。
荒川区の病院を紹介されたが、それだとなかなか会いに行けない。
自宅の近くの病院に転院できないか、先生にお願いしたら、転院できることになった。
おかげで、いつでも会えるので安心していた。
我が家から、病室まで、直線距離にしたら100mちょっとしかないと思う。
こんなに近くにいるのに、なんと遠いことだろう。
はやく、かつてのような普通の生活がもどってほしいな。