晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

すわのうみ③ 菅江真澄テキスト

廿八日 直堅がやに、洞月上人はなの歌よませ給ふけるを見て、

 

   世中はまだき盛にいとはやも人のことばのはなににほへる

 

としごとの春鶯きたれば、まづ人とりてこにいれなどすれど、此春はおのがまゝにきなくなど、あるじのかたりければ、

 

   雲をこふうらみもあらじ入しこはむなしき空に鶯のなく

 

庭の桜はじめて咲けるとて、人々歌よみける序に、

 

   これもまたちるてふことはならしばのならしやせましけふをはじめに

 

きさらぎつごもりの夕、犀川の辺の路行に、よもの桜さかりになりて行かふ人も手毎に折ありくに、こゝろある旅人ならん、いとよきさくらの枝を馬のうへにもてあそびつゝ行けるを見やりて、

 

   駒しばしとゞめてもがな花のえにあはれこてふの夢もむすばで

 

空うちかすみたるは、なにがしの山寺とかや、いみじき花のえだうちしだれたるは、世にことなるけしき也。

 

   山鳥の尾上のかすみそれさへもはなのしだりのいろにきえぬる

 

春雨したる夕、いとざくらの盛なるをうち見て、

 

   はる雨にうつろひかゝるいとざくらよりくる人やぬれて見るらん

 

やよひ二日 かまへといへる岡に、いみじき桜ありけるを、いざとて、直堅てふ人をたづざへて見に行侍る。

ことしはきさらぎふたつあれば、はなもはやしなどいひつゝ、かの処につきぬ。わかき老木の花咲まじりたるに、こゞしくふるきしだり桜の滝の落くるとおほふは、いとになふおかし。

あたりありきてしばしとて、庵のひざしに入てものに書つく。

 

   春風に吹なみだしそながき日もくり返しみむ花のしらいと

 

   青柳の枝ならなくにいとざくら風にからまるいろのゝどけさ

 

   しらかみの長閑く空にぐしけづるはなの老木の立る面影

 

   時しらぬ松さへ春とみやま路はかのこまだらの花のしらゆき

 

   うちみれば花ともいざや白糸の梢にかゝる色ぞのどけき

                               直堅

   うつろはで日をへて匂へいとざくら春とよりくる人したえねば

 

   滝つせの落るがごとに糸桜ちるはとはしるたまにまかのて

 

四日の日 なしの木といふ所の桜見にまかりしに、山路なれば、さる花のけぢめも見えず。

わびしき山中なりけり。

ある岩のうへに、きゞすならびをりてなきければ、

 

   おのつま羽をならべて恋わぶるうらみもなしのきゞすなくこゑ

 

やひとつありけるに入て、行べきかたをとへば、むかひなる里に渡らんにも、橋おち水あらくてちからなしといふ。

はたながせといふ処の橋なんこえたまへねといへば、其物語をあないにて、ながれにそひてその処につきぬ。

やはたゞ七ツありて、世中にしられぬすまゐなりけり。

このさへ河のながるゝさま、こゞしき波の音水のいろは、あゐかきながせるがごとくにして、なか/\のそま人もあやうし。

かゝるおぼつかなき一橋をわたるとて、きしの桜咲たる巌になみうちかけて、いづらを花と見わくべくもあらざりければ、えとくわたりがたくて、

 

   まろ木ばしふむあやうさもわすられてこゝろにかヽる花の白波

 

まき野といふ里の中みちに出る。

はたけに麻の萌出るを、こは桜麻といひ、花そといひて、きさらぎやよひにまきけるをいふに、里人のいひけらく、

 

   きのふけふまきのゝ里の桜あさいろこそ匂へはなさけるころ

 

せば(洗馬)てふむまやのこなたに、観世音ぼさちのおまします。御前にいみじきしだり桜の咲たりけるが、風にゆら/\としたり。

 

   山風の吹くるたびにいとざくらこ\ろみだるゝ花のこのもと

 

 

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