晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

手賀沼を自転車でひとまわり

天気もいいし、久しぶりに手賀沼に行くことにした。

手賀沼まで自転車で行って、沼のまわりを走るのもいいなと考えたが、自転車のチェーンロックのキーが見つからない。

そういえば、前回も見つけられなかった。

どこかで、無くしたのかもしれない。

今回は、手賀沼をぐるっと自転車でまわることにした。

 

いつものように、新柏駅から桜通りを直進する。

名戸ケ谷小学校前の交差点で車道は左折するが、今日は横断歩道を渡って、大津川に直進している農道を進む。

この道は初めて通るが、新柏方面から暗渠で続いてきた川が、ここで地面に出てコンクリートの用水路となっている。

地図を見ると、暗渠は小学校の運動場の下を通っているようだ。

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大津川に流れ込む用水路

振り返ると、増尾城址公園のある森が見える。

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増尾の森

大津川と森の間には広い水田がひろがるが、田植えはほとんど終わっていた。

大津川の土手の歩道に上がってみた。

土手から河川敷は、葛の蔓がはびこっていて、大きな葉が広がっている。

このあたりの地域名である「葛飾(かつしか)」のもとになっている「葛(くず)」である。

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葛がはびこる

千葉県東葛飾郡は、すべての町村が市に昇格してしまったので、消滅してしまった。

かつての下総国葛飾郡は、千葉県東葛飾郡東京府南葛飾郡、埼玉県中葛飾郡、埼玉県北葛飾郡茨城県西葛飾郡を含む、広大な地域だった。

千葉県の「千葉」は葛の葉の生い茂るさまから来てると言われる。

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県道を渡ると、河川敷が広いコンクリートの広場になってる場所がある。

いつも、通るところなので非常用の施設かなと思っていた。

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河川敷の施設

大きな看板があって、土手の道からは何も書いてない。

草むらに入って、看板の裏を見たら、「大津川接触酸化浄化施設」となっていた。

河川敷からしか、看板の内容は見えない。

これは、いったいどういうこと?

コンクリートの下に、大津川の水質を浄化するためのものがあるらしい。

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国道16号にかかる橋の下を進む。

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大津川の土手の歩道

大津川河口のヒドリ橋に到着する。

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大津川河口

手賀沼南岸は、旧沼南町の柏市で、専用のサイクリング車線と歩行者ランニング走者用の車線がある。

ここから、道の駅方面に向かう。

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道の駅は、年末のオープンに向けて工事中である。

先日、道の駅に買い物に来た時には、植樹がだいぶ進んでいた。

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新道の駅

サイクリングコースには、ベンチや展望台が何ヵ所も用意されている。

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これは「第3の砦」と私が名付けた展望台。

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展望台からの対岸の眺め

手賀沼は、もともとはひらがなの「つ」の形をした大きな沼だったのが、干拓事業によって約8割の水域が失われて、上沼と下沼に分離された。

つまり、かつては今の5倍の広さだったということになる。

手賀沼のまわりは、広い水田で囲まれていて、その先に緑に覆われた森がある。

緑の森のあたりが、台地の斜面のつけ根である。

現在の水田の広がりが、かつての手賀沼だったと考えることができる。

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あの森まで水面だった

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明治初期の手賀沼

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現在の手賀沼

手賀沼の東端の曙橋に着くと、そこには水門がある。

ここから、手賀川が流れ出て、布佐で利根川に合流する。

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手賀川の流れに白鳥が泳ぐ

曙橋を渡ると、手賀沼北岸となって、我孫子市である。

ここからは、サイクリングコースはなく、普通の遊歩道である。

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手賀沼には、「コブハクチョウ」という白鳥がいる。

コブハクチョウは渡鳥ではなく、手賀沼に定住しているようだ。

大柄でがっちりしていて、人間が近づいても平気である。

通り過ぎても、平気で毛づくろい?羽づくろい?をしていた。

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白鳥に出会った

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水に頭を突っ込んでエサを取っていた

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若い頃に、我孫子市に一年半ほど住んでいた。

そして、15年間仕事で通っていた。

我孫子には、うなぎの老舗の店が何軒かある。

我孫子の観光キャラクターは「うなきちさん」である。

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うなきちさん

水の館前で、休憩する。

水の館は、千葉県が建設した施設だったが、今は我孫子市に譲渡されている。

親水公園もあるので、小さい子が水遊びできる。

正面の水面に河童の像があるので、しばらく眺めていた。

そういえば、我孫子では夏祭りには、定番の「かっぱ音頭」というのがあった気がする。

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河童の像

手賀沼公園に来たら、ここでも白鳥が陸の上を散歩していた。

手賀沼に来たら、必ずと言っていいほど、白鳥に会えると思う。

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散歩中です

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この辺まで来ると、サドルに座るとお尻がいたい。

体重が重すぎるのか、体の鍛え方が足りないのか。

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手賀沼北岸の歩道 北柏方面へ

あとは、ひたすら帰るのみ。

 

出発が、午前10時で、到着が、午後1時半だった。

正味3時間半だったが、けっこう疲れた。

上Tシャツ、下ジャージだったが、汗かいた。

キロ数は、往復で30キロ弱と言ったところだと思う。

時間のわりには、充実した運動だった。

 

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