晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

ギックリ腰を笑ってはいけない

力仕事をする機会がある人は、ギックリ腰には注意しないといけない。

不安定な中腰からの動きでは、無理は禁物である。

年を重ねてからは、若い時と同じような体ではない。

 

私は、40代の頃に、ギックリ腰になってしまった。

ギックリ腰になったことのない人は、このことばを聞くと笑うと思う。

「ギックリ腰」ということばの響きや字面がそうさせるのだ。

体験者である私からすると、笑いごとではない。

死ぬ思いというくらいに、苦しい。

ギックリ腰も、たぶん程度があるので、甘くみると悪化させてしまう。

 

職場で、かなりの重量の荷物をいくつも運ぶ必要があった。

私は、力仕事は自信があったし、そういう作業は好きなので一人でやっていた。

荷物を持って、中腰から腰を伸ばす時にちょっと痛みを感じた。

でも、たいしたことはなかったので作業を続けていた。

そのうちに、強い痛みがあって、おさまらなくなった。

帰宅しても、痛みは無くならないので、翌日接骨院に行った。

まだ、無理すればなんとか歩けた。

診察が終わって、たぶん湿布薬をもらって帰った。

あんまり、よく覚えてない。

帰って、横になっているうちに、痛みで身動きができなくなった。

 

横になって、寝返りも打てなくなった。

少しでも、体を動かすと激痛が走る。

その晩は、一晩中一睡も出来なかった。

呼吸をしても、激痛になった。

このまま、痛みが治らず動けなくなったら、どうしようと思った。

何かの映画で、戦争で重傷を負い、意識はあるのに体がまったく動かない、というのを観たのを思い出した。

自分も同じように、なってしまうのだろうか。

息をするのさえ、苦しい思いだった。

2、3日そんな状況だったのだから、仕事も休んだのだと思うが、記憶は曖昧である。

回復できないのではないか、と真剣に考えた。

それでも、なんとか復帰できた。

その時に、思った。

この苦しみと痛みは、いくらことばで言っても他人には伝わらないだろう。

経験した人にしか、わからないことだ。

 

後になって思うのは、あの時無理して病院へ行かなければよかった。

静かに、横になっていれば良かった、ということである。

必ず予兆はあるのだから、無理をしないのがいいと思う。

ギックリ腰と言われるのも、いろいろあるらしいが、悪化させると「椎間板ヘルニア」というものになるらしい。

椎間板ヘルニアというのは、椎間板や椎間関節を損傷し、髄核が飛び出して神経を圧迫してしまうものらしい。

難しくてよくわからないが、とにかく痛そうなのはわかる。

きっと体が丈夫で、忍耐強い運動選手とかが、なりやすいかも知れない。

 

その後、何回か腰の痛みを感じたことがあったが、とにかく無理をしないことにしている。

私は、暑がりなので体を冷やしがちである。

体を冷やすのは、腰痛には良くない。

あれ、ちょっとあぶないかな、という感じがあるのだ。

そういうところは、気をつけている。

二度とあの苦しさは、体験したくはない。

 

 

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