晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

コンビニは、現代のよろず屋なのか

数十メートル歩けば、自動販売機がある、と先日書いた。

数百メートル歩けば、コンビニがあるだろう。

なんでも、縮めてしまう日本人は「コンビニエンス・ストア」を、「コンビニ」にしてしまった。

たしかに、「便利な店」である。

今の日本から、無くなって困るものの、1番かも知れない。

でも、栄枯盛衰の激しい世界らしく、閉店、開店が目まぐるしい。

そして、コンビニ業界も生き残りが大変らしく、合併で無くなった店名も多い。

セブンイレブンが、日本に登場したのは、私が学生だった1974年らしいが、身近なものになったのは、さらに10年くらいは後のことだと思う。

なんといっても、7時から11時まで、という名前がインパクトがあった。

そんなに、朝早くからやっていて、そんなに、遅くまでやってる店はなかったから。

 

店舗数のランキングだと、やっぱり、セブンイレブンが一番らしい。

2位以下は、次のとおり。

ファミリーマート、ローソン、 ミニストップ、ディリーヤマザキ

どれも、我が家の行動範囲にある。

妻の母が入院している病院には、「生活彩家」という小さなコンビニが入っている。

どうも、西日本の「ポプラ」というコンビニの系列らしい。

セイコーマートNewDays 、コミュニティストア。

これが、6、7、8位である。

セイコーマートは、どこかでみた記憶がある。

北海道の地場コンビニということだ。

NewDaysは、元はKioskらしいが、この辺りでは見ないけど、上野駅とか東京駅で見てる。

 

便利な店について考えていたら、よろず屋を思いついた。

よろず屋は、英語でゼネラル・ストアで、別名「なんでも屋」というらしい。

私の郷里の村にも、よろず屋と呼ばれる商店があった。

人口の多い街なら、専門店があるけれど、人口の少ない田舎ではよろず屋しか成り立たなかったのだろう。

日本中に、どれだけのよろず屋があったんだろうな。

私の育った村は、7つの集落からなりたっていて、合計二百数十戸くらいだったと思う。

それが、小学校中学校の学区になっていた。

そこに、商店が何軒あるか数えてみたら、8軒だった。

まったく商店がない集落もあったし、複数の商店があった集落もあった。

私の育った集落には、2軒の商店があった。

40戸前後の集落にしては、2軒の商店は多い気がする。

学校のあった集落には商店が3軒だったし、1番上流の集落には2軒の商店があって、かたよっていた。

どうして、そういうことになっているかは、この地域の重要な産業であった林業の存在が絡んでいる気がするが、私にはむずかしい。

今は、ダムの建設によって、無くなった集落もあって、商店は半分くらいになっているだろう。

 

よろず屋という商店が、どんな店であったか思い出してみる。

まず、子どもたちが行く駄菓子屋であった。

大きなガラスの入れ物にお煎餅が入っていたのは覚えている。

他に何が、並んでいたのだろう。

お豆腐もあったな。

お豆腐は、下流の街の商店の軽トラックで、運んで来てた。

砂利道を走ってくるせいか、豆腐はかなりしっかりした硬めの木綿豆腐だった。

他の商品も、その軽トラックから仕入れていたのだと思う。

夏になると、かき氷屋にもなった。

店の片隅に、テーブルとイスがあって、そこで食べることができた。

2軒の商店のうちの1軒は、テーブルが2つあって食べ物屋さんようなちゃんとした造りだった。

どうしてだったのだろう。

遠足前には、お菓子は50円とか100円とかの決まりがあって、そこで買っていた。

 

よろず屋って、コンビニみたいなものだったのかな。

反対なのかな、よろず屋が、今の時代になってコンビニになったのか。

イートインもあるし。

コンビニは、今は24時間営業しているけど、地域によってはそれだけのコストメリットがないみたいだから、これからはもっと多様な営業形態になっていくんだろうな。

日本中どこも、みんな同じっていうのは、無理があるだろうな、と思う。

 

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