晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

お茶をいれる お茶を飲む

我が家では、お茶を飲む習慣はなかった。

我が家だけなく、たぶん近隣の村々にもお茶を飲む習慣はなかった。

それでは、お客さんが来たらどうしていたのだろう。

漬物でも出していたのだったかな。

なぜ、お茶を飲まないかというと、お茶が育たないからである。

茶葉を買っていたら、とんでもなく高価なものだったろう。

お茶の木は、本来亜熱帯地方に多く分布するものらしい。

それでも、生物学的というか、栽培的な北限は秋田県北部地方らしく、檜山茶は、江戸時代から栽培されているらしい。

檜山茶の檜山地方は、秋田県北部の日本海に近い地域である。

経済的な栽培の北限は、新潟県村上市茨城県大子町を結んだあたりになる、ということだ。

茨城県北部の八溝山に行った時、道路の脇に茶畑と製茶店があって、寄ったことがある。

 

村に、商店が二軒あって、そのうちの一軒は農業兼業、もう一軒は商店専業だった。

子どもたちのうわさでは、専業の商店の旦那さんはお茶というものを飲むということを、聞いたことがある。

年に数回、父の実家に農作業の手伝いに行った時に、夕食をいっしょに食べることがあった。

総勢10人を越える人数の食事だった。

父の長兄が「家長」だったが、物静かで、厳格な人だった。

ご飯を食べ終わると、少し残したみそ汁にお湯を入れて、飲んでいた。

私たちも、マネをして同じようにしていた。

それが、お茶に代わるものとして飲んでいたのか、お坊さんがお茶碗でお湯を飲むようなものだったかはわからない。

 

だから、私はお茶を飲む習慣はなく育った。

のどが渇いたら、水を飲んでいた。

結婚したら、妻は大のお茶好きだった。

それは、もちろん妻の実家が、お茶なしでは済まない家だったということだ。

1日に何回も、「お茶飲みましょう。」ということになる。

私もいつか、その習慣になじんでしまっていた。

茶葉は、欠かさずに買ってあって、冷凍庫にある。

お茶は、体にとっても良いものだろうし、他に甘い飲み物を飲まないことにもなるので、子どもたちにとってもよかっただろう、と思う。

 

そんな環境で育ったせいなのか、そうではないのか、わからないが我が家の子どもたちは、飲み物についてこだわりがあるようだ。

長男は、学生時代にコーヒー店でバイトしたのがきっかけで、コーヒー関係の資格を取得し、今は自分で豆を焙煎している。

次男は、緑茶にとても興味があって茶畑のある会社で働いていた。

今は、転職しているが、お茶についてはとても詳しい。

三男は、なぜか紅茶にこだわって、いろんな茶葉を買っている。

紅茶の淹れかたも、なかなかうるさい。

だから、コーヒーを飲んで、そのあとはやっぱり緑茶になる。

ケーキなど洋菓子だったら、やっぱり紅茶でしょう、という感じである。

場合によっては、フルコースになったりする。

でも、お茶もコーヒーも奥が深いなと、思う。

 

 

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