晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

お線香をあげる 水をあげる

日本は、小さい国だというけど、ヨーロッパの国と比べればそうでもないよ、という人がいた。

文化の面から考えたら、すごく広い国なのかもしれない。

東西南北とても広いとも、考えられるかな。

 

まず、言語の面から言ったら、標準語がなかったらどうなんだろう、と思う。

方言だけだったら、どれくらい通ずるのか。

もう純粋な方言を話せる人が、とても少なくなってるかもしれない。

ヨーロッパの言語の違いなんて、日本の方言みたいなものだ、とどこかで聞いたような気がする。

ほんとか、どうかわからないが、そんな気もする。

秋田のご老人と、鹿児島のご老人が、方言で話したら絶対にお互い理解できないだろう。

一応東日本の人間である私が、関西の?西日本のことばを聞いた時の違和感というのは、いったいなになんだろう。

単に、言語的な問題ではないのか、それ以外のものなのか。

でも、秋田のあたりは日本海を通して、関西とのつながりは強かったらしい。

なかなか複雑で、単純にはいかない問題なのかな。

千葉に住むようになった頃、秋田のおばあちゃんたちの柔らかくて優しいことばがなつかしくなったことがある。

秋田には、おばあちゃんことばというものが、あるのだ。

たぶん、千葉だけではなく、関東一般かもしれないけれど、男女変わらぬ強い言い方のことばに、なじめなかったのかもしれない。

 

食べ物のことを言いはじめたら、なんと日本は広いだろう、ということになる。

食文化の違いということになるのだろうが、結婚してまず違いを感じたのは、「みそ汁」である。

妻が作る東京式の味噌汁は、お豆腐にネギとか、豆腐が揚げになったり、ワカメになったり、シンプルなものである。

あくまで、汁中心で、具はあまりゴタゴタ入れない。

私が育った秋田のみそ汁は、具だくさんのおかずだった。

野菜が、いっぱい入っていた。

「かやき」と言ってたような気がするが、どうもあいまいである。

他に、ホタテの貝殻を鍋にして、味噌を溶いたものに具を入れて煮たものも、「かやき」と言ってた気もする。

それは、「貝焼き」からきているらしい。

私は、みそ汁の「かやき」は、かやくご飯の「かやく」からきてると思っていた。

具がいっぱい入れてあるということである。

秋田では、ハタハタのなれずしというものがあった。

関東では、発酵させたすしというものは、見かけない。

やっぱりこれも、関西系なのだろうか。

 

秋田を離れてから、50年になろうとしている。

その間に、何回帰っただろうか。

たぶん、半分以上は、親戚の葬儀などの法事のためだった。

今ままで、あまり考えたこともなかったが、もしかすると秋田だけの風習かもしれないと思うことがある。

秋田では、よその家を訪問したら、「水を上げさせてください。」と言って、ご先祖の仏壇に水を入れたコップを供える。

お線香をあげることはない。

お葬式でも、祭壇の脇に水のはいった朱塗の桶 があり、やはり朱塗のひしゃくでコップに水を入れ、お供えする。

もちろん、お坊さんは抹香を使い、法要の際には参列者も抹香を使うこともある。

でも、基本的には、お盆にいっぱい用意したコップから一つ取って水を入れて、お供えする。

最近の葬儀は、秋田だとJA葬祭という農協の組織が扱ってることが多いが、朱塗の桶とひしゃくは必需品である。

「末期の水」というのは臨終の際の儀式であるが、それとなにか関係しているのだろうか。

お線香や抹香が高価なためなのか、火を扱うのが危険だからなのかはわからないが、昔からそのようにやってきたのだと思う。

 

このような風習が、私の育ったせまい地域だけのものなのか、もっと広い東北の他の地域にもあるのかは、わからない。

少なくとも、今私が住んでいる千葉や、東京、埼玉、茨城での葬儀に参列したことがあるが、そのようなものを見かけたことはない。

日本は広いので、他にも変わった風習がきっとあることだろう。

 

 

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