数ヶ月前に、北小金の本土寺を訪ねた帰りに、常磐線に架かる陸橋を渡っていて、近くに「東雷神社」というのを知った。
変わった名前の神社だとは思ったが、帰り道で疲れていたので、次の機会にすることにした。
たぶん、「ひがしいかずちじんじゃ」と読むのだろう。
「雷神社」というのは聞いたことがあるので、なんで「東」がつくのか考えていたら、東平賀全部を氏子とするとあるので、「東平賀」からきてるらしい。
近隣の地図を見ていたら、「茂侶神社」というのが、小金原団地の中にあった。
流山街道にも、「茂侶神社」というのはあったが、訪ねたことはなかった。
小金原団地の中央部に近くて、松戸北郵便局や小金原中央商店街もあって、かつてよく行った所であるが、由緒ある神社が近くにあるとは知らなかった。
そこで、目的地変更で、「茂侶神社」に向かうことにした。
自宅を出発して、光ヶ丘団地に出ると、妻の母が入院している病院がある。
通り過ぎて、さらに進むと、「酒井根合戦跡」というところに出る。
太田道灌と千葉孝胤が酒井根の地で戦い、太田道灌が勝利したものである。
鎌倉公方の扇谷上杉家重臣の太田道灌は、国府台から出陣している。
この時点で、千葉家宗家は滅亡していて、千葉孝胤は臼井に敗走するが、生き延びて千葉宗家を継承することになる。
酒井根には、首塚、胴塚、刀塚などが、数十あったと言われるが、今は二つの塚が残っている。
光ヶ丘団地の南端まで、向かう。
交差点を渡り、酒井根の集落にある酒井根八坂大神に向かって歩く。
「酒井根」という地名は、この辺りが葛飾郡と相馬郡の境であったことから付けられたといわれる。
柏の隣の沼南や我孫子は、明治30年に葛飾郡ととなったが、それまでは相馬郡だった。
道路脇に神社の大きな看板が、出ている。
「酒井根地区の産土神(うぶすなかみ) (家内安全・子孫繁栄・農耕の神様) 八坂大神」
八坂神社ではなく、八坂大神である。
ここまで、自宅から900mくらい、南方にある最も近い神社である。
同じような看板を、旧水戸街道の南柏駅に近いところにある神社で見た。
あれは、住所は今谷上町だったと思うが、何地区になってたかな。
江戸時代享保18年に、再建されたとあるが、創建は弘安年間(1278〜1288年)とのことです。
境内社として多くの神社が、合祀されています。
本殿を見ようを、拝殿の脇を行くとピンポンと何か警備の音響が響きました。
今は、物騒な時代なので、こんな設備も必要なようです。
早々に、引き上げることにします。
酒井根は、このあたりでは大きな集落だったようです。
八坂大神は、「八坂神社」と表示されていて、100mほど南方に、「天満宮」と鳥居の表示があるが、現在はなくなっている。
明治初期の地図を見ても、多くの住居が集まっているのが確認できます。
八坂大神の脇を、南北に通る県道を渡って、小金原方面に歩いていく。
下田の杜は、四方が住宅地になっている高台で、その斜面に囲まれた低地である。
畑や田んぼ、まわりから流れてくる流水が集まる池もある。
畑や田んぼの脇を歩いて行くと、池があった。
池には、おたまじゃくしがいっぱい泳いでいた。
四方を取り囲む森から、チョロチョロと水が流れ込んでいた。